いつもと同じ時間に目が覚めた。すっきりとした目覚めでは無かった。頭が重い気がする。ここ数日忙しかったせいだろう。


しかし、かなり進展はあった。最初の運び屋は潜伏先で不幸に遭い死亡。2人目の運び屋は依頼されただけの男ではあったが、それでも依頼した男の姿を読み取る事が出来た。運び込まれたマジックアイテムは全て回収。関所にはタリスマンを配備したので、密売品と共に紛れ込ませようとも見つけられる筈だ。ギルカタールの国民性や土地柄を考えれば、抜け道はまだあるので油断は出来ないけれど。

(刺青の男を探そう)

やる事ははっきりしている分、楽だ。身支度を済ませると執務室へと移動した。







執務室に入る。アッシュとタリアが居た。挨拶をして座る。アッシュを席に呼び、用事を頼む。私の口から出た名前に一瞬だけ驚いた表情に変わるが、すぐに戻したアッシュは一礼して部屋を出て行った。アッシュが部屋を出て行くと、代わりにタリアが席に来る。ライルから話がしたいと伝言を伝えられる。『裏』で何かわかったのかもしれない。タリアに留守を任せると、執務室を後にした。




鍛錬場に入る。広い室内に居るのはライルと王女。今日の王女はトラップの解除の実践をしているようだ。解除しているのは、200年程前に王家の墓に良く用いられた盗掘屋対策のトラップだ。ギルカタールで盗掘を生業とする者でも1個20分は掛かる品を、王女は5分足らずで解除していた。実際に見るのは今回が初めてだが、その潜在能力の高さに瞠目した。聞けば王女は多方面でその才能の片鱗を見せているようだ。しかし、如何せん本人が『普通』を望む為、鍛えるだけで特にこれといった実績を残していない。本人がやる気さえ出せば、同世代では抜きん出ている南北の御曹司に匹敵する実績を残せたと言われている。これまた本人が拒否している為、惜しまれながらも何もしていないのが現状のようだ。

「勿体無い」
「まったくです」

気が付けばライルが傍に来ていた。カーティスと同じようにご丁寧に気配を消して。最もこの男は気配を消す事を日常的に行っている生活が長かったせいか、今では気配を出す方が難しいと言っていたが。

「おはようございます、ライル殿」
「おはようございます。・・・・報告が上がりましたのでお渡ししますね」

ライルから報告書を受け取る。一瞥して封筒に入れる。予想通り鼠は大きかったようだ。

「お陰で綺麗になったと『婦長』と『庭師』に伝えて下さい」
「わかりました。・・・・ところで最近何かと物騒になっているようですね」

ライルが小さなメモ用紙を1枚手渡す。それを封筒の陰に隠して見れば、書かれた内容に驚きライルの顔を思わず見上げた。

「まったく物騒ですね」
「ええ」

プリンセスを付け狙う国外の一派在り、詳しくは守り頭に。


ライルの顔を見れば、珍しく無表情だった。訓練中の王女の位置からだと、ライルの後姿しか見えないから、いつもの仮面を外しているのだろう。それにしても珍しい。かなり苛立っている。『裏』でのライルの仕事振りを知る私も彼の内面をそれなりに見て来たが、恐ろしいくらい他人などどうなっても構わないと思う性質を持つ癖に教え子である王女には執着していて、柄に無く普通になりたいと思っている王女を応援している。手を伸ばせば届く位置に居ながら。

(慕われるのも大変ね)

これがもしかしたらライルなりの愛情なのかもしれない。そんな事を考えながら、私はメモ帳の守り頭の文字を指す。王女付き守り頭のチェイカから話を聞くと示せば、後ろからライルを呼ぶ声がした。王女だ。ライルは、頼みます、と小声で伝えると王女の方へと戻って行った。トラップを全て解除して誇らしげに話す王女。そんな王女にいつもの家庭教師の顔で褒めるライルの顔は作った笑顔ではなく、本当に優しい顔をしていた。







鍛錬場を出る。気配を探ればすぐにわかった。残念ながら今日はお目当ての人物は担当外らしい。柱に向かって呼びかけた。


アルメダ殿、と。呼ばれた当の本人は即座に柱の影から現れた。

「ど、ど、ど、ど」

どうしてわかったのかと言いたいのだろう。仮にも王女の守り役。しかもbQだ。ギルカタールでも相当の剣の使い手で、気配の消し方もかなり上手い。しかし、私もカーティスやライルと言った超人クラスと接しているうちに、気配の察し方も短期間で上達してしまったようで、魔法感知を使わなくてもある程度わかるようになってしまった。・・・・・本人の為にも口は噤んで置くけれど。

「落ち着いて下さい。魔法で見ただけですから」

そう口にすれば、言葉を真に受けたアルメダは、そうですかぁ、と安堵の息を吐いた。王宮勤めの人間にしては、アルメダは表情が豊かでコロコロと変わる。己の判断は間違っていない筈なのだが、何故だか罪悪感が湧いてくるのはこの表情のせいだろう。顔に出さないよう気を引き締めると、用件を切り出した。

「守り頭殿とお話をしたいのですが、今日はどちらに居ますか?」
「チェ、チェイカさんですかっ!」

跳ね上がる勢いで守り頭の名前を口にする。その姿に一発で見当が付いた。これだけわかりやすければ、この男も守り頭も色々と大変だろうとつい思ってしまう。

「チェイカさんならマスターの部屋にいますよ。マスターの部屋の前にはいつも侍女が控えているので、彼女に取り次いで貰って下さい」
「ありがとう」

さあ王女の部屋に行こうかと踵を返そうとしたら、ぽかーんとした表情でアルメダがこちらを見ていた。何をそんなに呆けているのか。用件は済んだのだが、気になって話し掛ける。

「どうしたんですか?お疲れの表情に見えますが?」

呆けてるとは流石に言えなかったが、自分がどんな表情をしているのかおおよそ見当が付いたのだろう。アルメダは頭を数回振り回して、気合を入れるような仕草をした後、非礼を詫びる言葉と共に理由を話した。

「マスター以外の高位の方にお礼の言葉を頂いたの初めてでして・・・」

重臣達に疎まれ見下された態度を取られているが、私の地位はかなり高い。国王、王妃、王女、その次が空席の宰相。その下に南北のまとめ役。まとめ役と良く言われているが、れっきとした大臣職である。その下に王宮内を構成する各省の長が名を連ねる。私の地位はここになる。魔法を重要視しない国柄なので、部下は2人と閑散としたものだが、大抵の魔術師がそうであるように、私も別に権力を欲していないのでこちらの方が都合が良いのだが。

「まぁ、知っての通りの閑職なのでそんなに畏まらなくても」
「いいえ。上の方はどう思っているか知りませんが、俺達の間で様を尊敬している人多いんですよ」
「物好きね」
「そんな。様は魔法を使わなくてもお強い上、頭も良いし綺麗で、俺達にも優しいじゃないですか」

俺達と言うのはアルメダのように役職に付いていない王宮勤めの人達を指すのだろうか。特に優しくした覚えが無いので首を傾げる。

「顕示欲も無くお仕事熱心な所が人気なんですよ。話してみると気さくな人柄と聞いていたので、一度お話してみたかったのですよ。ああー、帰ったら自慢しちゃおうっと」

誰に自慢するつもりだろうか。浮かれたアルメダを見ているうちに嫌な予感が湧いてきたのだが、好奇心に負けてしまい聞いてしまった。

「え?誰ってそりゃあ、様ファンクラブの連中に」

聞くべきでなかったと内心後悔で一杯になる。そんな物が存在する時点でかなりのショックだが、知ってしまった以上、知らないまま過ごすか把握した方が良いか天秤に掛けて後者の方が重かった。折角なのでどういった物か聞いてみる。

「会員はこの間までは30人程度だったみたいですが、ここ数日のご活躍が素晴らしかったのと、大物が入会して幹部になってから一気に会員数が増えたみたいですよ。会長は秘書官のタリアさんだと聞いています。大物幹部っていうのがどうもアッシュさんみたいで、秘書官2人が揃った事で爆発的に人気が上がったって会員の奴が言ってました」

まるで自分の事のように誇らしげに語るアルメダ。そんな彼を私はどこか遠い目で見ていた。秘書官2人のお陰で裏では凄い事になっているようだ。


アルメダを介して知ってしまった世界。このまま知っていけば、そのうち実際に彼らに祭り上げられるような有り得ない錯覚さえする。

(知らなかった事にしよう)

早いか遅いかの違いだけかもしれないが、面倒な事にわざわざ自分から入って行く必要は無い。知らない振りさえしていれば、実害は無いのかもしれない。そう結論付け、アルメダに会員の皆に水を差してはいけないので、と最もらしい言い訳をして口止めする。きらきらと目を輝かせたアルメダは、やっぱりお優しいんですね、と見当違いな言葉を口にしていたが、余計ややこしい事になりそうなのでそれ以上言わずにその場を後にした。

朝は始まったばかりなのに、何だか疲労を感じる一幕であった。







王女の部屋の前に来る。アルメダは王女の部屋の前に侍女が控えていると言っていたが、王位継承権第1位を持つ王女の部屋に易々と行ける筈が無い。王宮の中央、見晴らしが良い塔の中に王女の部屋はある。その塔は防犯上、緊急時の隠しの物を除けば1つしか入り口が無いが、そこを通る時に衛兵に止められたので用件を伝えると、しばらくすると王女付きの守り頭が上から降りて来た。私の姿を見つけると駆け寄り、完璧な礼を取る。

「お初にお目にかかります。プリンセスの守り頭を務めております、チェイカと申します」
「初めまして、チェイカ殿。と申します。プリンセス・アイリーンの家庭教師の方からお話があり、ご相談を受けまして、それでお邪魔しました」
「チェイカとお呼びくださいませ、様。お話は窺っております。こちらへどうぞ」

チェイカの案内で塔の中へ入る。限られた者だけが入る事を許された空間。出入りの激しい謁見室を始めとする空間は派手で豪奢な作りに対し、この塔の内部だけが質は一級だが他に比べると地味な印象を受けた。権威の象徴である王宮は見る者を圧倒し、その力を誇示する為に敢えて豪奢に作るものだが、この王家の人々は良い物を知り尽くしていて趣味も良いらしい。王族のプライベートな空間と言って良いこの塔は、ゴテゴテに飾らずシンプルでセンスが良い、そんな趣味の良さが窺えた。

奥へと進み、そのうちの1室に入る。中は応接間になっていた。チェイカに促され、席に着く。

「お忙しい中、来て頂いてありがとうございます。本来でしたら私が窺うべき立場なのですが・・・」
「いえ、ライル殿にご相談されて正解でした。国外となると今私が関わっている事件と関連性が充分考えられます」

そう答えるとチェイカは引き締めていた表情が若干和らいだ。今まで国内の人間に狙われた事は多々あったものの、他国の人間、しかもこの緊迫した時期に狙われたとなると充分警戒しなければならないのだろう。

「具体的にはどんな事があったのですか?付け狙われたとだけ聞いているのですが・・・」
「はい、あれは昨日の事なのですが・・・」

それは昨日の日が徐々に傾きつつある時間帯の事。王女であるアイリーンは時折1人で王都の街中にお忍びで出掛けていた。普通、王の子ならば供の1人や2人付けて歩くだろうし、まして王女ならば外に出る事すらみっともないと言われて出る事すら許されないだろう。しかし、ここはギルカタール。そして王は名高い盗賊王にして、惚れた女の為に反対する者は王族であろうと重臣であろうと誰であろうと叩き斬り、その血に染まった姿から紅蓮の王と評された豪傑。その娘ともなれば、愛らしい容姿に反して性格はギルカタールそのものの性質。優秀な家庭教師の指導の下、みっちりと護身術を学んでおり、その辺のごろつき程度ならあっさりいなせるし、万が一の為に王女の後ろから守り役が最低2名影から見守っているそうだ。


その日も王女は出かけられ、守り役が後ろから付いて廻っていた時の事。市場前の人の波を歩いていた王女は、その容姿と着ている物の上等さに近寄って来た男を一蹴し、財布を狙ってぶつかって来た子供の財布を逆に奪い取り、慣れた様子で歩いていた。多くの人間が王女と気付かないまますれ違って行ったのだが、ある男だけがすれ違った瞬間、はっとした顔で通り過ぎて行った王女の後姿を凝視し、しばらくした後、後をつけ始めた。尾行の腕はいつもの王女ならば気が付く程、拙いものだったが、何故か王女は気が付かないまま歩いていた。男の容貌はぱっとしない平凡な顔で、腕利きの暗殺者や人攫いの類には見えなかったのだが、男から感じる禍々しいオーラがチェイカに底知れぬ恐ろしさを感じさせたのだ。


チェイカとて王女の守り頭になるだけの力量の持ち主である。腕だけで言えば国内でも相当な物で、この若さの女性でこれだけのレベルの人間は国内にはまず居ない。荒事にも慣れたチェイカが恐ろしいと感じた男である。王女の危機に動こうかとチェイカ達が思い始めその機会を窺っていると、王女の行く手を阻むように武装した一団が現れた。王宮からの護衛官達である。


時刻は既に夕方を廻っていて、ちょうどその頃、緊急事態発生を私が発令した頃である。国王夫妻は王宮に居たのだが、王女が外出中だった為、いつもであればチェイカに使いが行き、チェイカが王女の前に現れて連れ帰る所だが、緊急という事で直接王女を保護する為に護衛官が動いたようだ。王女は護衛官に保護され、チェイカと供に王宮に戻ったと言う。


王女の後を付けていた男は、チェイカの部下である守り役の1人が追跡したが、途中で撒かれてしまったとの事。王女の守り役を撒くとは男の方も相当の腕前かと思いきや、特徴を聞いて合点がいった。

「魔法使いですか?」
「並の魔法使いではありません。おそらくかなりの腕前です」

悔しそうに唇を噛み締めるチェイカ。部下が撒かれたのは相当悔しかったのだろう。王宮の手錬を魔法で撒いたとしたら、それなりの魔法が使えるという事になる。しかし、それだけの力を持った魔法使いが何故王女に。・・・・・あった。王女にはあるのだ。魔法使いや魔術師、魔法に携わる全ての者を惹き付ける物が。

(厄介な事にならないと良いけれど)

私自身、お忍び中の王女とすれ違い、彼女の持つ高レベルの魔力に気が付いて興味を持った事がそもそもの始まりなのだ。原因を突き止めたら旅を再開するつもりだったが、その前に国王に見出され、新たな目的を持ってしまったので、今もここに居る訳だが。今回の男もその類の人間なのだろう。魔法使いや魔術師の根本にあるものは、新たなる物を探求しようとする精神であり、純粋な研究欲である。純粋故に時に厄介だ。手段を選ばない。特に研究や新たな真理さえ得られれば良いと思っている自己中心的なタイプだと、相手の身分やリスクをまったく考えず、己の欲求のままに動く。賢いのだが同時に愚かな生き物でもあるのだ。

チェイカが感じた底知れなさは、男の持つ強力な魔力だけではなく、凶悪な考えを脳裏に渦巻かせそれを実行しようとした男の禍々しさが表面化していたのかもしれない。

(この忙しい時に・・・)

アルメダに閑職と言ったが、普段の仕事と言えば王宮の強固な結界を維持する事とマジックアイテムの流通を把握するだけなので暇なのだ。今回のような陰謀を調査する事など滅多に無い。実際、前任者は通常業務以外、何事も無く円満に退任して行ったのだ。今回が特例中の特例という訳だ。

王女が邪悪なオーラを醸し出す魔法使いに後を付けられたとあっては、即座にその者の身元を洗い出す為に王宮魔術師が出動しなければいけない事態だ。しかし、魔術師は私1人。しかも今はどうしても離れられない事件を抱えている。策が無くは無いが・・・・、王女の安全が第一。当分、王宮の外に何が何でも出ないようにして貰おう。

(許可が取れたら、チェイカとライルに協力願いますか)

最終決定権を握っているのは、あの人達だ。ライルが知っているという事は、報告は行っているだろう。許可が得られなければ始まらないので、チェイカに打てる手は全て打つと約束すると部屋を後にした。塔の外まで見送られたが、別れ際、ご主人様をよろしくお願いします、と深々と頭を下げられた。主人想いのその姿に思わず笑みが零れてしまった。