国王・王妃の仕事の多くは謁見である。今日も朝から多くの人間が謁見に訪れており、2人共謁見室に居た。
謁見を申し出ると、既に順番待ちの列が出来ていたのだが、その順番を全て飛ばしてすぐ謁見室に入る事が出来た。
会議や重要な案件があれば、ここに南北のまとめ役を始め、重臣が壁一面にずらりと並んでいるが、今日は謁見室に居たのは国王夫妻と数人の文官だけであった。あまり聞かれたくない類の話だったので都合が良かった。人払いを頼み、国王と王妃、それに私の3人だけになる。
既に王女を付け狙う男の話は届いていた。しかし、魔法使いだと思っていなかったのだろう。私の報告に国王は顔を顰める。妻と娘には甘いと評判の国王の反応は予想していた通りで、口角に泡を飛ばす勢いでやはり男の抹殺を私に命じて来た。
ヒートアップする国王の扱いに慣れている王妃は、国王を一言で黙らせ落ち着かせ、今後私にどうするか尋ねて来た。そこに私の作戦を話した所、その内容の突飛な所が王妃の心の琴線に触れたのだろう。面白かったのか、おほほほほほほと一頻り笑った後、あっさりと許可を出してしまった。国王も面白そうにニヤニヤと顎に手をやり笑っていて、許す、と一言。こんなにもあっさり許可を出して良いのだろうかとつい思ってしまったが、出てしまったものは仕方が無い。ライルと王女の守り役に話を通して貰うようにお願いし、謁見室を退室した。
執務室に戻るとアッシュとタリアがいた。ふとアルメダの言葉が思い出される。
(大物幹部と会長か・・・・)
今までとは違った目で彼らが見れそうな気がしたが、知らない振りをするべくアルメダの言葉は脳裏の更に奥にしまいこんだ。
アッシュから報告を受ける。ある人物に会う約束を取り次いで貰ったのだが、上手く行ったようだ。夕方の約束、と忘れないように頭に叩き込む。夕方と言えば、あれ以来、例のマジックアイテムは関所を通ってないようだ。報告もなく、念の為に水鏡を使えば反応は王宮の2つのみ。運び屋が2人共失敗しているので、新たな方法を模索しているのかもしれない。鼠が巣に逃げ込む前に捕らえたい所だ。
執務室で仕事をしていると、ノックが2回聞えた。タリアが応対すれば、やって来たのはチェイカ、アルメダとライル、そして―――。
「プリンセス!」
思わぬ人の登場に私は勿論の事、アッシュもタリアも慌てた。椅子から立ち上がり、出迎える。
「ライル先生とチェイカから話は聞いたわ。面白い事になりそうだから私も見に来たの」
「そうでしたか」
普通の王女ともなれば、凶悪な魔法使いに付け狙われた事に怯えてしまい、数日は部屋から出て来れないものだと思う。しかし、目の前の王女はこれから戯曲でも鑑賞するような期待に満ちた目でこちらを見ていた。さすがギルカタールの王女と言った所か。
(王族ってしがらみが多くてなかなか楽しい事って無いですものね)
しがらみを嫌って出奔した王族や貴族の話は良く聞く話だ。
「こうしてお話しするのは初めてよね。私はアイリーン=オラサバル。この国のプリンセスよ。皆からはマスターとかご主人様とかお嬢様とかお嬢とかプリンセスとか・・・色々と呼ばれているけれど、好きに呼んでくれて構わないわ」
「それでは王女殿下とお呼びしてもよろしいでしょうか?」
「随分堅苦しい呼び方を選んだわね」
「前に居た国で王女殿下の家庭教師をしていまして。呼び慣れているのです」
私の言葉に全員が驚きの声を上げる。彼自身もそうだが、どこか似た所を持つ私にも家庭教師と言う柄では無いのはわかっているのだろう。探る眼差しでライルがこちらを見ていて、目が合うと意味有り気に口元に笑みを浮かべるのが見えた。
「へぇー。私とあまり年は変わらなそうに見えるけど、王女の家庭教師が出来るって事はやっぱり貴方って凄いのね」
「いえ、魔法しか取り得の無い人間です」
「・・・・・カーティスと対等に戦えるなら充分だと思うわ」
王女の言葉にアルメダが同意するが、少々煩かった為に、隣のチェイカに無言のお叱りの眼差しを受けていた。その光景に彼の恋が成就する日はまだ先の事になりそうだと、思わず同情してしまった。
軽く自己紹介と話をした後、本題に移る。思い付きに近い作戦であったのだが国王夫妻からGOサインが出た以上、やるしかないだろう。早く今取り掛かってる仕事を片付けて、ほんの数日前のあののんびりとした日々に戻りたい。王女の指示で守り頭のチェイカが袋から何かを取り出す。アンティックゴールドと深い青みがかったロイヤルパープルのビスチェドレス。オフホワイトの幾重にもドレープが連なるドレス。スカイブルーのヴェール、そしてゴールドの髪留めを始めとする装身具。目の前の王女が良く着る衣装の1つだ。本人曰く、良く動きやすいので同じデザインや似たデザインの服を沢山持っているとの事。
「この服は昨日街に行った時と同じ物ですか?」
「はい。昨日のマスターのお召物と同じデザインのものです」
チェイカが答える。
「そうですか。それなら昨日の男も充分間違う可能性はありますね」
今回の思いつきの作戦と言うのは、私が王女と同じ格好をして街を歩くというものだ。付け狙った男は王女の何に惹かれたのかまだわからないが、もしも魔力が狙いならば私の魔力でも充分餌になる。マジックアイテムの件で街に出る事も増えたので、出る度にこの格好で歩き回れば目に留まる可能性が高い。万が一、男に襲撃されても、その辺の魔法使いや魔術師相手ならば、私1人で撃退出来るので問題は無い。
・・・・・魔法使い以外にもそれなりに強い筈だったが、最近、カーティスと戦っているせいで自信を持って言えないのが残念だ。
「ご主人様と様ならサイズもそう変わらないので大丈夫かと思いますけれど」
「そうだと良いけれど」
チェイカの持つ衣装を体に当ててみる。大丈夫だと思うのだが、もしかすると足りないかもしれない。主に・・・・・・・胸が。
(良いスタイルしてますよね・・・)
健康美を体現している一方で、腰や足首が細く胸がある。目の前の王女のスタイルの良さに少し泣きたくなってしまうのは、女の性なのだろうか。しかし、時に自覚な無いのも困ったものである。私が悶々と悩んでいる事など知らない王女は、試着してみれば?とあっさり言った。
いきなり直面した問題に慄くものの、後には引けず、王女達に取って置きのお茶とお菓子を出すようにタリアに命じた後、自室に戻った。
自室に戻った。何故だかチェイカも後ろから付いて来る。不思議に思って尋ねてみれば、王女の命で着替えの手伝いに来たとの事。人に着替えを手伝って貰う事が苦手な私は遠慮するのだが、チェイカが主の命に逆らえる筈が無く・・・・泣く泣く手伝って貰う事に。
「様もご主人様と同じ髪色ですね」
「そうね。髪の色を変える必要が無いから、その辺は楽かも」
「様は魔法で髪の色を変えたり出来るのですか?」
「マジックアイテムでも変えれるし、魔法でも変えれるわよ」
「便利ですね」
「まぁ、こういう時にしか使う事無い魔法だけれど」
笑ってみせれば、チェイカも笑う。王女付きの人間なので会う前は主人以外には高飛車な人だと思っていたが、想像と違い優しい人で良かったと思う。
(前の国の王女付きの侍女は皆性格が悪かったなぁ。まぁ王女付きともなれば貴族の出の娘が多いから仕方ないけど)
チェイカもギルカタールの人間で守り頭を勤める人だと言う事は忘れてはいけないけれど、一度主人と認める人が出来たら命を捧げる覚悟で仕える事が出来る人だ。内情はどうあれ、接していて気持ちが良い人は居心地が良い。
着替えが終わる。恐る恐る鏡を見ると、思ったほど悪くは無かった。ビスチェの後ろが紐で結ぶタイプだったので、サイズ調整が効いたのが良かった。
「どこかおかしいかな?」
「いえ、良くお似合いです。あまりご主人様の事を知らない人が見たら、まず間違うかと思います」
年齢や髪の色は似ているが、顔立ちが私と王女では系統からして違うので、顔を覚えられたら偽者だとばれるだろう。しかし、もしあの男の目的が王女の魔力ならば・・・・見間違うかもしれない。
「さあ、ご主人様達にもお見せしましょう」
「え?これ見せるの?」
「当たり前です。ご主人様は今日それを楽しみにいらっしゃったのですよ」
さあ、参りましょう、とチェイカに背中を押されて自室を出る。嫌々執務室に入れば、秘書官2人は何故か赤面し、アルメダはあんぐりと口を開け、ライルはくっくっと笑い出し、王女に至っては、想像以上だわ、とポツリと漏らした。その異なる反応の数々にどんな反応をして良いのかわからず、後ろに居たチェイカに、似合い過ぎて驚いているのですよ、という言葉が酷く慰めの言葉として響いたのだった。
あの後、鑑賞会のような時間が終わり、着替えようとまた自室に戻ろうとすると、ライルに阻まれた。いつものあの笑顔で、王妃様から街に出る時は必ずその格好で居るようにと受け賜りました、と言うライル。
やられた。あの王妃はやはりこの王女の母だ。この事を楽しんでいる。ライルの顔にはありありと面白がっているのが窺えたが、王女や他の者の前でライルとの『裏』の付き合いを見せるのは憚られた。
「私、これから仕事で人と会わなきゃいけないのですけど・・・」
「王妃様が許可なさるそうです」
「・・・・つまりこの格好で会っても良い、と」
これから会う人物は王女と浅からぬ関係では無い人物だけあって避けたかったのだが、命令とあらば仕方ない。曇った私の表情を見逃さなかった王女は、誰に会うのと尋ねられ、言葉に苦しんだが答えるしかなかった。
「スチュアート=シンク様です。今抱えている案件でお話を窺いに行く予定になっていました」
「そう、スチュアートなんだ」
ほんの少し切なさが混じったの王女の声に気が付かない振りをする。この前に会ったタイロンと、今から会いに行くスチュアート。それに目の前の王女が幼馴染の関係で、幼少から慣れ親しんだ間柄だと伝え聞いている。彼らに何があったのかも聞いている。その後の事も。そして今その関係が絶たれている事も。
空気がほんの僅かだが変わったような気がした。ライルだ。隣に座る王女を見る事はしなかったが、メガネの奥の瞳に宿しているのは悲しみ、そして怒り。ライルは決して誰にも見せないように隠す。だけど私には何故かわかってしまう。彼は似ているのだ。・・・・私に。
だから私は気付かない振りをする。そしてライルも私が気付いている事を知らない振りをする。やっぱり私達は似ているのだ。
「お茶のお代わりは如何ですか?今日は折角殿下がお見えになられたので、異国の菓子をご用意させて頂きましたが」
話を逸らす為、茶と菓子を勧めてみる。ギルカタールでは珍しい数々の菓子を王女は気に入ったようで、その後、菓子1つ1つの説明を聞きながら堪能していた。
帰り際、またお茶しに来ても良いかしらと尋ねる王女の顔に憂いの色が無く、その事にほっとする。二つ返事で了承すると、横でライルが今日はスパルタですね、と王女に伝える姿に苦笑する。王女が懐いた事に嫉妬しているのだ、この男は。王女はその事に気が付いていないようだけれど。死刑宣告に似た言葉に、王女は青褪めた表情でトボトボとライルの後を追う姿を見送る。スチュアートといい、タイロンといい、ライルといい、もう少し王女周辺の人間関係が良好に動かないものかと傍観者としては思う限りだった。
魔法の国、ルーンビナスでは魔法移動は日常的に行われている為問題が無いが、魔法が浸透していないギルカタールで日中移動魔法を使うと非常に目立つ。また王女の件で時間があれば囮として動かなければならない事もあり、王宮を出て街を歩いた。
ギルカタールの衣装である王女の服は街に良く溶け込める。以前の女官姿と同じく、余所者を見る懐疑的な視線を送られる事無い。それでも着ている物が良いからだろうか。人相の悪い男に物色するような舐め回すような視線にうんざりしたが、実害が無い限り無視する事にした。
北の斡旋所に付く。中に入り窓口で用件を伝えれば、奥に通される。そこに彼は居た。
銀色の長い髪、冷たさを感じる美しい容貌。スチュアート=シンク。北のまとめ役の息子。私の格好を見て目を見張った後、射抜くと言う言葉が生易しいくらい殺気の篭った眼差しを向けて来た。
「王宮魔術師風情が何の真似だ?」
返答次第では殺すぞ、と言いたいのだろう。口に出さないものの、手に愛用の細剣を抜く姿に眩暈を覚えた。予想通りの展開である。溜息を1つ吐き、予め用意してきた言い訳を口にすれば、スチュアートは鼻で笑って剣をしまった。
テーブルの上に一枚の紙を置く。質の良いソファーに優雅に足を組んで座る男は、男にしてはすらりと伸びた白い手で取る。一瞥した後、指で紙を弾く。弾かれた紙はふらっと宙を漂い、またテーブルの上に落ちた。何をやっても優雅に見える男だと思った。
「ギルカタール北部に住む暗殺を生業とする一族の物だな。その一族の者は成人の年を迎えた時、古来から一族に伝わる試練を受けて帰って来た者に成人した証としてこの刺青を彫ったと言われているが、・・・・・・・・・例のマジックアイテムの事件に関わっているのか?」
「はい。それでスチュアート様のお力をお借りしようと思いまして参った次第です」
「私よりヨシュア=シンクに頼んだ方が良いのでは無いのか?」
試すようにスチュアートは私に問い掛けて来る。おそらく彼の常套手段なのだろう。スチュアートとヨシュアの仲が如何ほどの物であるのか、市井の者でも知っている話だ。彼は私と言う人間を見極めようとしている。ならば飾る事無く答えるのみ。
「先日、ヨシュア様には『貴様、許さんぞ』と言われまして。のこのこ行くのも何でしたので。それにそんな人に手柄を与えるのって嫌じゃないですか?」
少なくとも私ならやりたくありませんね、と言えば、スチュアートの顔に薄笑いが浮かぶ。
「お前、面白いな。あの男にそこまで言わせて生きていた人間を見たのは、初めてだ。何をやったんだ?」
「大した事はしていませんよ」
そう言ってこの間の一件を話して聞かせれば、スチュアートは最初は平静さを見せていたが、次第に噛み殺せなくなり、最後には耐え切れずに高々と笑ってみせた。
「その話が事実だとしたら、今頃あの男は如何にお前を陥れるか考えているだろうな」
「時間の無駄ですね。私も見縊られたものです」
「・・・・だが、あの男を甘く見ない方が良い。あれでもギルカタール国内では数本の指に入る権力者だ」
「一介の旅の魔術師には通じませんよ」
「確かにそうだな。お前は権力に興味が無い。それが強みのようだな。・・・・何故、王宮で働いているか不思議なくらいだ」
探る眼差しを向けられる。笑みでそれを跳ね返せば、スチュアートは面白くなさそうに眉間に皺が寄っていた。食えない人間だと思っているのだろう。
「まあ良い。それでお前は私に何をさせるつもりだ?」
本題に入る。私はドラブと接触した北部の暗殺者出身の男の身柄を生きたまま拘束したい。ギルカタールの北部はシンク家の管轄だ。ヨシュアに妨害されながらも、今やスチュアートは北部の実質的な支配権の大半を手にしている。それを可能にした要因の1つが情報。スチュアートは北部地域においてはヨシュアに劣らぬ情報網を持っている。だからヨシュアよりもスチュアートに力を借りに来た。最もそれ以外にも理由はあるのだが。
「ギルカタール北部に住むシェンナと呼ばれる一族の刺青を持つ男。年齢は30代。予測ですがボアトレ国境の近くに住むコチニールの部下だと思われます」
「あの男か」
スチュアートの眉間の皺がまた増える。その反応にコチニールがどのような男かわかった。
「そこまで情報を持っていながら何故独自で動かない?いや、独自で動けなくても王宮の人間を使えば良いだけの話だ。何故、私を・・・・そうか」
話しているうちに何かに気が付いたスチュアートは、一度口を閉ざす。そして―――。
「そうか。あの男が居るからか。王宮が動けばあの男が気が付かない筈が無い。そうなると厄介だ。だから私の所に来たのだろう?」
違うか?とスチュアートは問う。予想以上に頭の回転が速い。テンポ良く進む会話に思わず笑みが毀れる。
「完全な証拠はまだ押さえていませんが、これを気にコチニールとカクタスの両名には失脚して貰おうかと思います。先にコチニールを今回の件で押さえるつもりでスチュアート様にご助力願いに参りました。さて、如何なさいますか?」
我ながら人が悪い聞き方だと思う。この話をスチュアートが断る筈が無い事をわかった上で話をしたのだ。そうでなければ、わざわざ昨日のカーティスから得た刺青の話と、ライルから今日受け取った報告書の話を漏らしたりしない。
「白々しい。ここまで聞かせておいて、今更引き下がれる筈が無いと高をくくっているな。良いだろう、=。乗ってやろう、お前の話に」
交渉成立。そこから先は内々の話になる。私もスチュアートも策略を張り巡らせる事も得意としている。大まかな流れを決めた後、細々とした事を1つ1つ決めて行く。積み木を積み上げる作業。崩れないように細部まで作り上げる。それなりに満足の行く物を作り上げた頃には窓から夕日が差していた。練り上げた策を頭の中に叩き込む。お互いの役割を確認し合った後、斡旋所を後にした。