北の斡旋所を出る。もうすぐ日が暮れる。

ここは街の繁華街からも近いので、夕暮れ時でもうじき斡旋所が閉まるのに関わらず人出が多い。予想以上に時間が取られてしまったが、まだ夜と呼ぶには早い時間だ。懐に入った袋を確認すると、その足でもう一箇所立ち寄る事にした。




病院前に着く。既に診察時間は終わっているが、入り口横の守衛所に行けばシャークから話が通っていたので中に入る事が出来た。


白い廊下を1人歩く。昨日は後ろから影のようにカーティスが付いて来たが、今日は居ない。大口の依頼が入ったようで、数日居ないと昨日言っていた。それでも呼べば出て来そうな気がするから不思議なものだ。そんな自分に苦笑しながらシャークの部屋を目指すのだが―――。

人のざわめき声が聞こえ、足を止めた。




複数の看護士の焦りを含んだ声がいくつも聞こえる。それらが重なり合えば結構な音量だ。静かな病院内に良く響く。誰かが危篤状態なのか、しきりにその病室には何人もの看護士が出入りしている。次々に運ばれる機材。そして―――。

「メイズの容態は?」

白衣姿のシャークが血相を変えて現れた。私に気が付くものの、それどころではなく、足早と騒ぎの中心の病室に入る。シャークに用事があったのだが、今は無理だろう。しばらく様子を窺ってはいたが、長くなりそうだ。ここに居ても部外者の私は邪魔になるだけだ。


そう思い、廊下の壁に預けていた背中を起こして出口に向かって歩いたのだが。もうじき出口という所で背後から誰かが追って来る音がした。病院らしからぬ音に思わず振り返る。


シャークだ。私の所まで駆け寄ると、そのまま私の手を掴む。そしてまた来た道を戻って走り出すので、当然私も引き摺られた形で走り出した。

「悪い、事情は後で話すが、あんた治癒魔法は使えるか?」
「それなりに」
「そうか。すまないが、1人診て欲しい奴がいるんだ」
「私は医者ではなく、魔術師ですよ」
「・・・それでもだ」

どこにでも掟や領域というものが存在する。暗殺者には暗殺者の。商人には商人の。そして、医者の世界には医者の世界がある。ここは医者の世界であり、シャークの領域だ。私が決して侵してはならない領域であると同時に、シャークも侵される事を避けなければならない領域だ。しかし、今、シャークは私に領域を侵させようとしている。彼をここまで動かしているのは、先程の病室の患者か。どうやらただの患者ではないようだ。


引き摺られるように連れられた病室は立派な物だった。VIP専用と呼ぶに相応しい広さと機材が並んでいる。その部屋の中心、大きなベットの上で苦悶の表情を浮かべているのは、まだ幼さの残る少年だった。額に大粒の汗を浮かべる。呻き声から察するに相当苦しい筈なのに、泣き言1つ言わない姿に少年の強さが感じられた。シャークに押されて少年の傍まで行く。顔色が悪い。それ以上に、彼の中に残っている生命力が非常に弱弱しく感じられる。

「彼は?」
「弟だ」

シャークの身内の少年。その答えに全て理解する。掌に光を集め、少年に注ぎ込む。回復魔法の1つ。傷口に効くものではなく、生命力を回復する代物。しかし―――。

「回復が間に合わない。彼は何の病気なんですか?」

シャークに問う。シャークは苦々しい顔付きで、弟を脅かす病魔と、そして弟の取った行動について話した。自殺。なんて病院に似合わない行為。この痛みを耐える強さを持つ一方で、黄泉への誘惑に負けた弱さも持っていたのか。

「いつもの10倍薬を飲んで、点滴は2倍の量やりやがった」
「解毒剤は?」
「薬を中和させる注射は打った。・・・・だが、完全に中和するまでメイズの体は」

シャークの目が傍の機材の1つに向けられる。弱弱しく波打つ細い針。その動きがシャークの弟、メイズの心臓の鼓動を表していた。


回復の魔法を使うには時間が経ち過ぎていた。メイズの体には生命力を留めるだけの器が無い。自ら命を絶つ為に投与された薬が、彼の器たる体の細胞をゆっくりと破壊してしまっていた。暖簾に腕押しだ。魔法はメイズの体に留まる事が出来ず、溢れ流れ出していた。その事を話せば、シャークの顔に絶望の色が浮かぶ。


ギルカタールの密売商人、シャーク=ブランドン。伸し上がるためにありとあらゆる手を使って来たのだろう。そんな彼が浮かべた悲痛な表情に、私は心を動かされた。


回復の魔法を止める。魔法陣を描き、大きなベット1つの周囲を完全に陣で囲んだ。呪文を詠唱する。久しぶりの大魔法の詠唱。流れ出す魔力の余波が部屋の窓を伝わり振動する。ガタガタガタと震える窓。カーテンは魔力の流動に合わせて風に靡くように揺れた。


魔法陣が光り出す。呪文の詠唱も終わり、そして発動した。時空の圧縮と逆行が魔法陣の中で行われる。


時間を戻す。少年はまだ苦しんだままだ。更に戻す。数時間分戻すが、まだだ。自殺に至ったのはかなり前の時間らしい。腕に徐々に力が入らなくなり、気力を振り絞る。


そしてようやく捕捉した。点滴を2つ吊り下げ、掌に大量の薬を持ったメイズの姿が見えた。シャークが弟の名前を呼ぶが、時間軸が違う為、メイズは反応しない。パリンと破裂する音がした。私が魔法を解除する前に魔法陣が安定しきれずに壊れてしまった。薬を持った状態のメイズはシャークに捕まり、薬は全部取られていた。涙を堪えながら兄に訴えるメイズ。その声を耳で捉えながらも、意識はそこよりも遥か遠くへと行ってしまいそうだった。


私の方も限界だった。床に膝をつき、崩れ落ちる。ひんやりとした床が気持ち良い、そう思った瞬間、私の意識は途絶えた。







見慣れない天井が目に入った。目が覚めた。体が重い。ここはどこだろうと辺りを見渡す。白いカーテン。真新しい病院器具。シャークの病院だ。何があったかようやく思い出せた。


部屋は薄暗いが、夜目が利く私には問題ない明るさだ。ベットから起き上がると、途端に眩暈がする。足に力が入らない。思った以上に魔力も体力も消耗してしまったようだ。


キィと音を立てて、ドアが開くと明かりが付けられた。シャークだ。私に気が付き、傍に寄る。

「まだ寝ていてくれ。気を失うくらいの疲労状態に陥ったんだ」

シャークに阻まれ、大人しくベットに戻る。確認すると確かに腕に点滴の針が刺されていた。

「弟さんは?」
「お陰様で元気だ。・・・・ありゃ、時間を戻す魔法か何かか?」

頷くと、シャークが深々と頭を下げて来た。

「あんたのお陰で弟が助かった。礼をさせてくれ」
「私が勝手にした事です。気にしないで下さい」
「時間を遡る魔法を使える魔法使いなんざ初めて見たぜ。相当危険な高等魔法なんだろう?」
「危険過ぎる魔法ではありませんよ。今回は7時間戻したのでさすがに倒れてしまいましたけど」

最近の仕事の疲労も溜まっていた事を告げれば、申し訳なさそうな表情でシャークはガリガリと頭を掻く。ベット脇の椅子に腰掛けると、首に下げた聴診器に手を掛けた。

「一応診ておくか」

シャークが慣れた手付きで私の服に手を掛ける。彼は医者でもあるのだから慣れていて当然なのだが、医者が聴診器片手に診る事がどういう事を指しているのかわからない私ではない。反射的にシャークの手を軽く叩いてしまった。不快そうに眉を吊り上げるシャーク。

「す、すいません。大した事無いんで良いです。遠慮します」
「ああ?さっきぶっ倒れた奴が何を言ってる。例の一件で多忙なんだろ、あんた。倒れた原因が俺の弟にあるんだ。遠慮せず受けとけ」
「ちょっと待って・・・」

本調子には程遠い体はなかなか言う事を聞いてくれず、私の抵抗もむなしく胸元を飾る装身具が取り払われた。胸元を強調するデザインが憎らしい。この服の本来の持ち主は豊満な胸をしており、この服が非常に似合っているのだが、人並み程度しか無い私には恥ずかしい限りである。そもそも私の普段の服自体、露出がかなり低いデザインなのだ。装身具をつけて誤魔化していたが、それが取り払われると胸が目立っているような感じがして非常に恥ずかしく感じてしまう。

「そんな赤い顔するなって。・・・・こっちが恥ずかしくなろだろうが」

途端にシャークも赤い顔になる。俺は医者だぞ、と呟く声が聞こえたが、医者だろうが何だろうが邪念が無いとは言え、若い男には代わりが無い。私にも肌を晒す恥じらいくらいまだあるのだ。


胸元が開いているデザインだったので、装身具1つ外すだけで済んだのは後から考えれば幸運だったのかもしれない。聴診器のひんやりとした冷たさに僅かに身震いをする。その姿に苦笑しながら、シャークは聴診器を胸元のあちこちに当て、息を吸って吐いてを繰り返す。異常なしと言い、シャークが聴診器を引っ込めると急いで装身具を付け直した。

「おいおい。・・・・まぁ、わかるけどな」

老若男女様々な患者が足を運ぶ病院の医者である以上、年頃の女性の診察も度々行うのだろう。苦笑いを浮かべるシャークはどこか慣れているようにも見えた。


疲労と判断したシャークは点滴をもう1本増やし、更に注射も1本打つ事になった。点滴を打ちながら、シャークと雑談している時、ふと思い出し、懐を探る。中から袋を取り出すと、シャークに手渡す。が、すぐに突っ返された。

「この間の情報料だろう?受け取れねぇから返すぜ。まぁ、このくらいじゃ今回の礼にもならないからな。おいおい返していくさ」

私が勝手にやった事だと何度も諭すが、その度に突っ撥ねられ結局諦めた。

(何だか後が怖い・・・)

どんな礼が待っているのか。不敵に笑うシャークの表情から察するに、彼の名に恥じない物である事は確かだろう。

(成金趣味じゃないと良いけれど・・・)

そんな事を考えていると、次第に眠くなって来た。眠気に襲われ目を細める私の髪をくしゃりと1度撫でたシャークは、立ち上がり電気を消して出て行った。


部屋を出て行く時に聞いた、おやすみの言葉が優しく聞こえた。