ふわりと意識が浮上し、目を覚ます。視界に広がる白一色の世界に、ここが病院だと言う事を思い出した。腕に刺さった点滴の針を自分で抜き、コードを一纏めにする。かなりの魔力を使ったが、ベットから下りて体を軽く動かすが、そう悪くもなかった。
ベット脇のチェストに立て掛け置かれた杖を手に取る。懐の時計を確認すれば、出勤時間までまだ少し余裕があった。王宮に戻ってシャワーを浴びてから出勤する事にしよう。1日1回は湯浴みをしなければ気が済まない性質である。そうと決まればシャークに挨拶でもしてここを出よう。そう思い廊下に続くドアに手を伸ばせば、ドアノブに触れる前にノブが回されドアが開いた。
中に入って来たシャークが私と抜かれた点滴の針を見ると、頭を抱えて溜息を吐いた。
退院するにはくシャークの診察を受けなければいけなかった。私の容態次第では再びベットに押し込める気だったらしい。シャークから問題無しの太鼓判を貰い、移動魔法を使わずに徒歩で王宮を目指して歩いていれば、肌がザワリと毛羽立つのを服越しに感じた。どうやら思ったよりも早い段階で餌に食いついたようだ。
何気ない動作で背後を確認すれば、商いの準備を始める人々の間を縫うように異様な雰囲気を持つ男が1人、あからさまな尾行で私の後ろを歩いていた。チェイカの報告通りの風貌と遠くからでも感じ取れる魔力に確信を得ると、少しずつ歩く速度を上げて人気のあまり無い場所へと行き先を変えた。
細い路地に入り、廃墟に程近い区画で1度足を止める。ここは王都南部の開発予定地区だ。今はちょうど不法占拠していた住民達を立ち退かせたばかりなので、人気も無い。更地にし、開発して行く予定なので、多少私が暴れても問題無い場所だった。
杖を構えてしばし待てば、陰気なオーラを放つ男が姿を見せた。銅色のローブに、赤い石の嵌められた杖。火炎魔法を得意としているのか、それとも苦手としていてその杖を持っているのか。どちらにしろ攻撃魔法が得意な魔法使いには違いない。
薄汚れたローブのフードを頭から被る男は、40歳台ぐらいの男で、その風貌だけ見ればごくごく平凡と言ったものなのだが、目だけが異様だった。時より赤く光る目。それが何を意味するのかすぐにわかった私は、厄介な相手と出会ったものだと内心溜息を吐いた。
「貰う」
命令と言うよりは宣告だった。一言そう呟くと、宣言通り、男は杖を天に翳して魔法を唱えた。火炎魔法。しかも上級レベル。即座に消滅魔法を唱え、相手の生み出したマグマの塊を魔法の渦に飲み込ませた。自身の魔法が打ち消され、それに男は大きく舌打ちをすると、杖を私の方向に突き出した。黒い闇の矢が降り注ぐ。それを光の矢で打ち抜くが間に合わず、いくつか降り掛かった矢は魔法壁で防いだ。忌々しく男はギラリと私を睨む。時より光っていた目は完全に赤くなっていた。
魔力を一時的に上昇させる魔法薬、マジックバーストが完全に効いてしまった。この薬は副作用として、使用後、一時的に魔力が空になる代わりに、使用してしばらくの間は爆発的に魔力が高まる。体中に漲る魔力に気付いたのだろう。ニヤリと男は笑って見せると、次々と魔法を詠唱して行った。
火炎、氷結、風撃の魔法が絶え間なく私に襲い掛かる。詠唱の大半を破棄した高速詠唱。それに加えてその全てが上級魔法である。想像以上に腕が良い。その上、ドーピング済みともなると、私でも簡単に押さえ込める相手では無かった。魔法同士の相殺を狙うにもお互いの威力が高い。下手をすれば被害がここだけに留める事は出来ないだろう。歯を食いしばりながら、その全てを魔法壁で防ぐ。それが今の私が打てる最上の手段だった。
防戦一向の私をニタニタと眺めながら、男は魔法をひたすら詠唱し、私にその全てぶつけた。それを私が全て防げたのは、私が完全に防御に徹した事と男の攻撃対象が私だけに限られたお陰だろう。また、魔法薬で爆発的に高めたとは言え、上級魔法を絶え間なく打ち続けるのには限界がある。しばらくして、男は肩息を吐き始めた。放出される魔法の威力も徐々に弱まり、疲労により片足が地に着いた時、完全にその動きは止まった。
男の狙いは王女なので、万が一の脱走も考慮すると王宮の牢には連れて行けない。そうなると南北か、それ以外か。まずは捕らえてからだと魔法壁を消して男に近付くが、悔しさを顔に滲ませると男は一瞬で姿を消した。どうやら空間移動のアイテムを使ったらしい。魔法はもう使えないと油断していたこちらのミスだった。しかし、空間移動のマジックアイテムはかなり入手困難だった筈だ。自作したのなら別だが、それでもかなりのアイテム作成者としての腕が必要とされる筈。あの爆弾も魔法薬も自作なら、空間移動のアイテムも作れる筈だが、それなら肝心の材料は?
辿り着いた結論に思わず米神を押さえる。王と王妃に報告する際、かなり面倒な事になりそうだが、これであの男もしばらくは薬の副作用でしばらくは魔法は使えないだろう。時間が少し確保された事に息を吐くと、空間移動で私も王宮に戻る事にした。
空間移動で私室に移動する。餌に食い付いた以上、囮の必要はもう必要無い。手早くシャワーを浴びて汗や埃を流し落とすと、いつもの魔術師の服装に着替えて執務室にに向かった。
秘書官2人は既に席に着いていた。いつもは決まった時間に現れる私が、時間になっても来ない事に心配してくれていたらしい。2人に礼を言うと、即座に書物を漁る。魔法薬、マジックバーストのページを見つけ、中身を頭に叩き込んでいると、ノックをする音が聞えた。急ぎの作業の為、タリアに来訪者の応対を任せていたが、私を呼ぶ声が聞えたので顔を上げた。
王直属の秘書官だった。
「様。王がお呼びで御座います」
慇懃な態度で秘書官が告げる。耳が早いのも良し悪しだと思いながら、やって来た秘書官と共に王のいる謁見室に向かった。
秘書官の先導で謁見室に入れば、即座に王、王妃と対面する事になった。私のいつもの服装に王妃が右手を頬に置き首を傾げて問う。
「あら、もう変装は良いの?」
「既にネズミは引っ掛かりました」
「して、ネズミは?」
「逃げられました」
「何だと!」
隠し通せる筈も無いので、さらりと事実を述べれば、案の定、怒気を孕ませた王の声が返って来た。いつも通り王妃が取り成すと、王はこちらを窺って来た。
「カーティスと互角にやり合うお前が逃がしたという事は、相当な手練か?」
「魔法薬で爆発的に魔力を高めていた男でした。おそらく王女の魔力の高さを見抜き、自身の魔力では太刀打ち出来ない事を見越したのかと思います」
そうでなければ副作用の強い魔法薬を飲んでいやしないだろう。あの男は私の姿を見つけ、魔力の高さを感じ取った後、あの薬を飲んだに違いない。アレは即効性では無いのだから。用意周到さを見る限り、王女の魔力の高さを見取った段階であの魔法薬を用意していたのだろう。
「どんなに早くてもまず一週間は薬の副作用は消えないでしょう。賊の外見も魔力も見ましたので、探索し、身柄を押さえます」
「わかった。必ずやわしの前にその男を引き摺り出せ」
「御意」
王が腰に携えた剣の柄を撫でる。溺愛する娘を狙った賊だ。実際に襲われたのは私だけれど、罪は罪、罰は罰。下手すれば自らの手で断罪しそうだと、私は王を眺めて思った。