謁見室から執務室に戻らず、1度、自分の私室に戻った。数日前、カーティスが眺めていた薬品棚を開ける。日の当たらない場所に置かれたこの棚には、上の段には既に生成された薬品が、下の段には原材料が瓶詰めにされて並んでいる。下の段から乾燥させ細かく潰した赤い植物の葉の入った瓶を掴むと、扉を閉めて棚自体に魔法を掛けた。

執務室前の魔法管理場に数日前同様に再び魔法で水鏡を張る。静かに凪ぐ波はやがて静まり、鏡面のような水色に持って来た赤い葉を落とした。水鏡に触れた瞬間、色褪せた葉の赤が一気に鮮やかな色合いに変わった。コポコポと葉が呼吸するように音を立てる。腕を振り、王都の地図を水鏡に映すも、反応は無い。南西部、南部、東部とその範囲をギルカタール全域に広げれば、東部地域で反応があった。水色の水鏡の上に赤い印が1つ。最近、良く目にする地名がそこにあった。

「まさか、ここだとはね」


これ程大きな陰謀が続け様に何度も起こる物ではない。それが同時に起きるとなれば、それは偶然ではなく、意図的な物だと疑って良いだろう。王都爆破計画の犯人と王女誘拐計画の犯人が同一人物、もしくは同じグループの犯行の可能性を考えなかった訳では無い。ただその手口があまりに違い過ぎて、この2つの事件を同一犯と考えるには強引過ぎると危惧していたからだ。だが、今回の件は間違いなく同じグループ内での犯行だ。王女の件は、内輪揉めかグループの1人の暴走かわからないが、これで最後の問題も解消されるだろう。水鏡が示した場所。それはギルカタール東部。権力の順位で見ればあるヨシュア=シンク、トータム=ベイルのすぐ下、省の長の中で最も強い発言力を持つ男、カクタス=アイローの屋敷だった。

プリンセスを狙った男として、あの魔術師の男は今すぐ身柄を確保したい。屋敷内で押さえれば間違いなくカクタスは犯人隠匿の罪で連行出来るだろう。しかし、カクタスが連行されたとなればコチニールは雲隠れする可能性が高い。そうなると王都爆破計画は未遂のまま立ち消えになり、阻止する事は出来ても火種は残る。

(監視を付けてカクタスの検挙と同時に動くか)

コチニールに関してはスチュアートに、カクタスに関しては既にライルに頼んでいる。仕事の早い2人だ。そう待たされないだろう。

「アッシュ、いますか?」
「はい」

振り向かずにその名を呼べば、背後で返事が1つ。振り向けば姿は無くとも気配を露にしたアッシュが控えていた。

「頼んだ件はどう?」
「今の所、目立った動きはありません」
「そう。それじゃあ、これまで通り、タリアと共にお願いね」
「はい」

するりと気配が消えたのを確認すると、私も手を進めるために動き始める事にした。早ければ明日にでも詰みまで持って行けるが、油断は出来ない。レベルの高い魔法爆弾と魔法薬を持ち出すくらいだ。逃がしたあの魔術師の男がマジックアイテムの専門家ならば、更に強力なアイテムを持ち出して来る可能性がある。・・・最悪の状況なら、流石の私も無傷では済まない展開に話が変わるだろ。念の為、ライルには王女に付きっ切りになって貰おうか。最悪、腕の立つ男を更に1人・・・欲を言えば2人。アッシュもタリアも既に動いており、手駒は使い切った。私1人で出来る事は限られる。打てる手を全て打つために、私は必要な物を準備して魔法準備室から魔法陣で別空間へと飛んだ。
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準備から戻ると執務室にタイロンがいた。予想通り、話の内容はエルク=ベルジュに件だった。

王宮にマークされる以前、彼が頻繁に立ち寄った場所の特定が終わった。そこは王宮の市場の程近い倉庫の1つで、その裏は王宮の外壁。外壁は高く厚いものだが、あのマジックアイテムの威力を考えれば、楽に穴を開けれるだろう。もし陽動したとしても充分効果的な場所だ。市場にも少なからず被害は及び、市民は大いに混乱する。・・・最も肝心のマジックアイテムは王都内に運ばれた物は全てこちらの手の内にあるから、マジックアイテムによる爆発は大丈夫だが、それでも安心はしていられない。向こうもマジックアイテムを全て押さえられ、焦っているに違いない。何を仕出かすかわからない状況なのだ。

タイロンに倉庫の監視と関所のチェック、それに王都南部の巡回の強化を頼めば、ノックと共にスチュアートの声が聞こえた。私が口を開く前ににタイロンが「入れよ」と許可を出す。この部屋の主は私なのだが、そこは幼馴染の気安さとタイロンの性格のせいだろう。黙っていれば、静かな雰囲気を湛えたスチュアートが入室して来た。タイロンを見た途端に静けさが冷ややかさに変わり、ナイフのような刺すような威圧感が本人に向けられる。しかし、当のタイロンは気にした素振りを見せなかった。気にならないのか、肝が据わっているのか。どちらかわからないが、その後もタイロンの態度は変わらず、苦虫を潰した顔のスチュアートは勧められるまま空いたソファーの一席に腰掛けた。そのまま運び屋ドラブに依頼した男、アシードについての報告が始まった。

アシードが数日前に接触した男がいるらしい。その男と明日会うらしく、それまで泳がせるらしい。その手配は既に終えているようで、スチュアート本人からも余裕が窺えた。

「北で全部終わらせるのか?」

タイロンの問いに当然だとスチュアートは得意げに笑って答えた。

「南は俺達の領域だから、南に逃げたら連絡しろよ」
「無駄な心配だ」

それだけ答えると用事は済んだスチュアートはさっさと部屋を出て行った。緘口令が敷かれているのでコチニール、カクタス両名の名前を伏せたものの、タイロンに近々大きな捕り物があるので警戒するように伝える。曖昧な物言いではあるが、王宮で仕事をするともなると、話の裏まで読まなければならない。私の言葉で大体の事情は察したのだろう。大きく頷いてタイロンも部屋を出て行った。






タリアに呼んで貰ったライルがやって来る。既に日は暮れ、濃紺の夜空が広がっていた。

「今日は来客が多い日ですね」
「いつまでもこの騒ぎに振り回されて居る訳にはいきませんから」

紅茶を入れて差し出せば、優雅な動作でライルはそれを受け取った。実力主義のギルカタールの人間の中では、ライルの所作はスチュアートには及ばないもののかなり洗練されている部類に入る。その中身は・・・わざわざ口にするまでも無いだろう。あの王妃のお気に入りなのだから。

「決行は明日の夕刻に決まりました。コチニールは北が、カクタスは南が同時刻に押さえます」
「思ったよりも早く動きますね。良くて翌々朝かと思っていましたよ」
「陛下が早急にお命じられまして」
「さて・・・私も忙しい身なのですが、態々呼び付けたという事は何かあるのですか?」

本当に忙しいのだろう。いつもなら非常に回りくどい言い回しで飛ばす嫌味が、酷く直球的な物になっていた。

「私がプリンセスの代わりに襲撃されたのは聞いていますね」
「ええ。薬の副作用で襲撃者は魔法を使う事が出来ないと聞きましたが」
「あの手の薬は術者の潜在魔力を引き出すタイプの物です。魔力増幅と言っても無い物は引き出せないのですよ。本来ならば数日は初級魔法の1つも打てません。しかし・・・・・・何故か妙な胸騒ぎがします」

他の重臣ならば弱腰だと罵っただろう。しかし、ライルは私の顔を窺って私の感じる胸騒ぎの度合いを量ろうとしていた。考えられる可能性を全て考え、その中から最善手を選び、不安因子は全て潰す。私はせいぜい数日間動けないように痺れ薬を一服盛るが、ライルは面倒臭がってあっさりと殺してしまうのでまったく一緒でも無いが、私とライルのスタイルは驚く程似通っている。だからこそ、このような状況下でもこんな話が出来るのだ。

「その襲撃者が魔法を使えるかもしれないと言う事ですか?」
「ええ」
「何か根拠はあるのですか?」

頷いた私にライルは眼鏡の位置を正した。本人が気付いているかどうかわからないが、あまり好ましくない話を聞く時にライルは良く眼鏡の位置を正す。位置を正す事で気を入れ直しているのかもしれない。

「潜在魔力を引き出すのは本来ならば危険なのですよ。体に見合わない魔力を持つ訳ですから。例えば王女殿下の潜在魔力はとても素晴らしいものですが、魔法の訓練をした事もない殿下の潜在魔力が全て開放されたら体が魔力に耐え切れないでしょう。最も王女殿下には幾重にも封印がされています。魔法薬程度では潜在魔力を全て引き出せないでしょうね。まぁ、何が言いたいかと言えば、普通の魔法薬ではあそこまで魔力が続かないのですよ。魔力を一度に開放する訳ですから、その爆発力は本来の数倍と言われていますが。しかし、熟練の魔術師でも持って5分。ハイリスクな薬なんですよ。魔法に通じる者でも生きるか死ぬかの瀬戸際にしか使わない物なんですね。引き出した魔力を上手く使いこなせなかったとは言え、あの状態を30分以上保たせる自体、本来ありえません。そうなると一般的には知られて居ない魔法薬を飲んだとしか思えないのですが・・・」

この場合の一般とは魔術師の世界を指す。魔術師の世界でそう知られて居ない魔法薬。そんな物を持ち出した襲撃者の存在がどれだけ異質か。その事に気付いたライルは私と同じ胸騒ぎを感じ始めたのだろう。表情に僅かながら不愉快さが混じっていた。

「その魔法薬に心当たりは?」
「調合方法も材料も知っています。作るだけなら私でも出来ますが、材料の中にいくつか入手困難な物があります。おそらくギルカタール国王の権力を使っても手に入る可能性はごく僅かです」

僅かながらの不愉快さがライルの顔を覆い尽くした。国王の権力でも入手困難な物を手に入れるのだ。国王の権力はそのままギルカタールの国力にも置き換えられる。カーティスを使おうとシャークを使おうとおそらく入手は出来ないだろう。それだけでもあの襲撃者の男が異質であり、危険なのかがわかるかと思う。

「それに対して手は打ちましたか?」
「コチニールの屋敷を国軍が包囲した後、ヨシュア=シンクが精鋭を率いて館内に突入する予定です。カクタスについては明日国王と謁見の予定を入れたので、王宮の控え室に通した後、トータム=ベイルが捕縛します。タイロン=ベイル率いる別部隊がカクタスの屋敷にいる襲撃者を捕縛するように言っていますが、捕縛が難しいようならば殺しても構わないと王から勅命がありました。私はカクタスの監視と、もしもの為の魔法要員として王宮で待機です。私もあの襲撃者の男に当たりたかったのですが、陛下、妃殿下、王女殿下の御身の方が大事ですのでね」
「ふむ」

ライルは眼鏡の位置を正すと、今までの情報を纏めているのかコツコツを指先で机を叩き始めた。私も今後の最悪の状況を頭の中で展開したせいで、少々頭が痛かった。少しでもマシになればと紅茶を飲んで肩の力を抜く。

「それで私に何を頼むつもりなのですか?」
「それはですね・・・」

万が一の事態を想定しての対策をライルに伝える。万が一の言葉の通り、私が想定する最悪の事態が起きる確率は限りなく低い。しかし、嫌な予感が拭えない以上、私個人が影で動かせる範囲内で対策を取って置く必要があった。

「それでは最終的に動けるのは貴方1人になりますね」
「仕方無いですよ。下手に誰か連れて行った所で足手纏いになられても困りますから」
「それなら足手纏いにならない人間なら良い訳ですね?」
「居るのですか?そんな人材?」
「ええ、居ますよ。先程、貴方の話に出なかった人間がね。私の方で話を通しておきましょう。頭は悪くないのですが・・・馬鹿です」
「・・・それは結局頭が悪いって言ってません?」
「そうですね」

あっさり認めたライルに私は返す言葉を失った。そんな私の姿が面白かったのか、ライルは少しだけ表情を和らげた後、「明日の朝、そちらの執務室に行くように伝えておきます」とだけ残して執務室から出て行った。この時間帯ならばおそらくこれから裏の仕事に入るのだろう。必要ならば王妃に報告するだろうし、不要ならばライルは何も告げないだろう。その辺りの報告はライルに任せて、私も明日以降の事態に備えて準備に再び取り掛かった。



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ライルと主人公は仕事のスタイルが似ているので、ビジネスパートナーとして実は仲が良い。
ライルは裏の大臣、主人公も裏で何かしらの職位を持っているので、2人で話す時には基本的には王や王妃、王女以外には敬意を払いません。ヨシュアもトータムも呼び捨てです。