「この泥棒猫」


忌々しくロベルトを睨み付けて吐いたカーティスの怨嗟の言葉に、私は訳がわからずに、カーティスをじっと眺めた。しかし、それでもわからず、助け舟を求めるように隣に立つロベルトを見る。向こうも同じ気持ちなのか視線がぶつかり合い、


(え、どうするんですか?これ?)
(カーティス相手に正面からぶつかるのは不味いッスね)
(正直、逃げたいのですが)
(どこまでもついて来ると思うんだけど)
(ですよね)


目の動きだけで意思疎通をしていた。実に実のない内容だったが、お互いの目をじっと見つめていたのが気に入らなかったのか。くいっとローブの袖を強く引っ張られ、ロベルトの呆れ顔が遠ざかった。振り返るまでもなく、私を引き寄せたのはカーティスだった。


「酷いですよ、。僕と誓約したのに、そんな男と―」


その言葉の続きは無く、代わりにぎゅっと肩を抱かれる。一体、何なのだとカーティスの顔を覗き込もうとすると。


さん!」


ロベルトが必死の形相で私の顔を両手で押さえて、自分の方へと向かせた。


「あー」


男2人に密着される女が1人。非常に・・・拙い。


「とりあえず・・・落ち着こう、うん」


そう言葉にしている私が1番落ち着かなければならないのだろう。状況をまだまともに把握しきれていないが、カーティスもロベルトもまともではないこの状態では、私が収拾を付けるしかないのだから。








「結局、何だったのです?」


紅茶の入ったカップを片手に聞いてみる。応接用のローテーブルには3人分の紅茶と籠に入った茶菓子が置いてあるが、それらに手を出しているのは私だけだ。他の2人は一切手を付けずに、私にくっついたまま。そう、私達は対面にもソファーがあるのに関わらず、3人同じソファーに腰掛けているのである。はっきり言って狭い。そして微妙に苦しい。両脇に細身とは言え、成人男性に張り付かれているのだ。左右から感じる圧迫感と戦いながらも紅茶を口に運ぶ様は自分でも滑稽だと思う。しかし、茶の1つでも飲んで少しでも気を紛らわせなければ、やってられないのだ。


「僕が」
「俺が」


ほぼ同時に喋り出し、その被った声にお互い心底不快だと眉を顰めて睨み合う。間に私が居ようとお構い無しだ。


「何?私が邪魔なら退くわよ」


紅茶しか私の味方は居ないのか。生温くなった紅茶を飲む。美味い。


「嫌です」
「待って!」


空になったカップをテーブルに置いて腰を浮かす。すると左右から伸びて来た手によって阻まれ、再び座らされた。左右を見渡せば、懇願と哀願の眼差しを送られ、内心で溜息を吐きながらソファーに背を倒した。


「それで結局何が気に入らなかったのですか?」


カーティス、と。先に彼を促せす。


「僕と誓約していて、他の男を傍に置くのが気に入りません」
「俺は正式に王宮から依頼されてるっつーの!」


即答したカーティスに間髪置かずにロベルトが噛み付く。またこのパターンかと無言でソファーから腰を浮かそうとした途端、左右から肩を押されて無理矢理ソファーに倒された。乱暴だと思うような粗野な動きではなかったが、その問答無用といった動きに思わず左右の彼らを僅かにつり上がった目で見る。しかしこの程度で動揺する彼らでは無く、実に飄々とした顔でこちらを見返していた。内に隠さずに溜息を短く吐く。


「ロベルト」
「はい」
「カーティス=ナイルは以前私と2度程やり合いましたが、その後、取引をしました。今は協力関係にあります」
「・・・はい」


不承不承といった顔でロベルトは頷く。


「カーティス」
「何です?」
「ロベルト=クロムウェルは私の同僚から紹介して貰った今回の協力者です。人手が不足している為、王宮から召還され、特別執務官に任命されました。今回の件が解決するまで、ロベルトは私の部下です」
「部下、ねぇ・・・」
「何だよ」
「それにしては随分距離が近いんじゃないかと・・・思いましてね」


思わせぶりな声音。意味ありげな視線。カーティスのそれらを向けられたロベルトは顔を強張らせた。耳まで顔を赤く染め、それを見たカーティスは不快だと顔を顰めた。それを見て非常に嫌な予感がした。先に道を塞いでおこうかと思った私は悪くない。


「カーティス。先に言っておきます。ロベルトの特別執務官の解任は無理です。今回の事件は様々な思惑が入り混じっていました。その為、多方面に働き掛け、事件の半分は私の手を離れています。私の補佐官達もそちらについて動いていますので、人手も足りずロベルトの協力を仰いだのです。ロベルトの協力無しでは・・・もう無理なんですよ」


主に書類的な意味で。


補佐官2人、別件で取られているので、書類が一向に片付かないのだ。アッシュもタリアも優秀なのだが、ロベルトが規格外過ぎた。今日1日、彼1人で処理した書類は補佐官2人の数日分の作業量に匹敵する。仮に今回の件が終わっても、処理する書類は消えはしない。明日以降、北から報告書がまた上がって来るだろうし、事件解決後は最終報告書の作成や非常事態時のマニュアルなど、作らなければいけない書類が待っている。それがわかっているからこそ、ロベルトはもう手放せないのだ。


さん!」


感嘆の声を漏らすロベルトに強く頷く。その話をロベルトからノロケ話として聞かされたライルが、知らない方が幸せなんですねと呆れ顔で呟いた事を後日聞く事になった。


「流石に可哀想だと、我が友人ながら思いましたよ」


普段は親友にすら容赦の無いライルだが、この時ばかりは心底同情しているようで、その後の私がロベルトに対して酒場で飲む話をしに行くのだが、話した途端、相好を崩して「喜んで!」と答えた彼に余計罪悪感を抱く羽目になった。


そう遠くない未来の話である。








さて、私の書類的な事情など知る筈も無いカーティスだが、私が一切引かない事は理解出来たのだろう。元より彼は学が無いと言いながらも頭は良い。毒薬の知識に関しては学者か顔負けであるし、ギルドの長として交渉に関してもかなり長けている。



「はい?」
「僕との誓約を切る気は無いですよね?」


問いというより確認に近い言葉だった。


「無いわ。このまま敵対せずに済むなら、しないに越した事はないもの」
「そうですね。僕もそれは一緒です。思った以上に貴方の傍は居心地が良い。この間の誓約は一週間のお試しでしたが、後で正式に誓約を行いませんか?勿論、内容を若干変えさせて頂きますが」
「内容次第では断るけれど。・・・そうね。それも後で話し合いましょう。それでまだ数日効力がある誓約の話を、ロベルトの前でした理由は何?」


ロベルトへの対抗心だけ喋るには誓約の話は、正直選択ミスとしか言えない。私との誓約にカーティスは腕1本差し出しているのだ。誓約の内容は契約者以外に喋ると効力が弱まるので、私もカーティスもまず口にする事は無い。しかし、世の中、解析に特化したマジックアイテムはそれなりに存在する。金に糸目を付けなければ、私達の誓約がわかるマジックアイテムを手に入れる事も可能だ。私の隣にいるロベルトにはその金があった。


「簡単な話です」


そう切り出したカーティスに、話を振った事自体後悔しそうな程、嫌な予感を覚えた。


「僕も貴方を手伝います」


貴方個人と契約します。だから僕を雇って下さいね。


その言葉にずしりと後悔の念が心を押し潰すように落ちて来た。


提案と呼ぶには言葉尻が決定事項のような断定の響きがあった。しかも先程がやったように、カーティスも道を塞ぎに掛かる。


「報酬はこの前見せて貰ったローズダストハイで良いです。それと再契約の誓約の内容は互いに五分の状態で。これでどうです?」


片手で米神を押さえながら、提示された条件と現在の状態を並べて天秤に掛ける。提示された条件自体、そう悪くない。カーティス所望の毒瓶自体、それ程執着の無い品だ。毒の扱いに長けたカーティスならば、別に譲っても構わない。誓約の期限もあと数日あるので、今すぐ私とカーティスが敵対するという事にはならないが、誓約の対象外であるロベルトに手を出されるだけで、仕事の妨害になるだろう。どの条件ならば私に損が無いか。どの条件ならばカーティスを納得させられるか。頭を働かせて考える事、数分。私の出した結論は。


「どの条件で手を組んでも国王夫妻に報告無しで動くのは無理です。条件と状態を話してお伺い立てて来ます」


上に丸投げする事だった。この件でカーティスに動いて貰うならば、堂々と姿を現しての活動となるだろう。闇から闇を渡り歩き、音も無く人の命を奪う事を最も得意とする彼には、どちらかと言えば苦手な仕事に分類されるだろう。今回の仕事が迎撃、もしくは殲滅や侵入、探索といったこちらから打って出る場合には、カーティスに闇に潜んで貰った方が効果的なのだが、今回は残念ながら防衛戦だ。相手が魔術師とグルニアの工作員、もしくは軍人。しかも複数相手ともなると、他国にも名の知れたカーティス=ナイルの名前は大々的に使った方が効果的だ。相手のやる気を削ぎ落とし、手を出す事を躊躇させる。現役でありながら伝説とまでされた暗殺者の名前には、それだけの力があった。


「わかりました。希望と合わない場合は口を出しますよ」


そう言ってカーティスも立ち上がる。


「まさかついて来る気?」
「ええ、勿論」
「私が貴方の手引きをしたように取られるから止めて」
「別に誰かの手引きなんて無くても、王宮内なら僕に入れない場所は無いのですが」
「そうだろうけれど。私も一応体面ってものもあるから、拒否します」
「仕方無いですね。わかりました。勝手について行って部屋の隅にいます」
「口出しは」
「します」


当然です。そう即答したカーティスは、これ以上の譲歩は無いと視線を向ける。ぶつかり合う視線。先に逸らしたのは私の方だった。


「ロベルト、行きますよ。カーティス、後で紹介しますからね」


紹介するのですかと面倒臭そうな顔をするカーティス。いきなり口を出されたら流石の王妃殿下も驚くでしょうがと返して、ロベルトと共に執務室を出る。ふっと消えるカーティスの気配に関心しながら謁見室へと向かった。




意地悪く笑う国王夫妻が気前良く様々な許可を与えて、カーティスが特別執務官(命令を出せるのは私だけ)に任命するのはそれからすぐの事だった。