私の友人、愛那は恋愛に関しては夢見がちな部分がある。

「いつか王子様が愛那の事を迎えに来るの」

そう呟く彼女の目はどこまでも本気だった。ふわふわと柔らかくウェーブの掛かった薄茶色の髪や、小顔でぱっちりとした瞳を持つ彼女は、同性である私から見ても十二分に愛らしく、そんな彼女の『王子様』になろうと躍起になっている男は、私が知るだけでも両手に余るほど存在する。

「愛那の言う王子様ってどんな人なの?」

日頃から王子様王子様と言われ続ければ、その理想の中身を知りたくなるのが人の常と言うものだ。パックジュースのストローをくわえながら私が尋ねると、愛那は顎に手をやり、小首を傾げて、少しの間、考える仕草を見せた。その間に教室に居たクラスの男子の大半の聴覚が研ぎ澄まされ、一文字一句とも聞き逃さないと言う真剣な表情に変わる。

「んーっとね」

そう切り出した彼女の発した次の言葉は、余りに彼女に焦がれる男達には辛く厳しい物だった。

「ふわふわで」
(ふわふわ?)
「ハチミツみたいな」
(・・・プーさん?)
「綺麗な金髪の王子様かな」
「・・・ふーん」

まさかの外人さんである。これには野球部のタカハシくんも、サッカー部のコニシくんも、陸上部のサトウくんも周りを気にせずにガックリと肩を落としていた。

「それなら英語マスターしないとね」
「えー。なんでー?」
「金髪って事は外人さんでしょ?英語ペラペラの」
「そうだよ」
「なら、愛那も英語話せるようにならなきゃ駄目じゃないの?」
ちゃん、大丈夫だよ!」
「うん?」
「王子様は日本語もペラペラだから!」
「・・・・そっか」

そんな都合の良い王子様が居るのだろうか。顔の造詣には厳しい彼女の事だ。きっとその王子様とやらはハンサムボーイ、もしくはハンサムガイでなければならないだろう。そんな王子様と出会う確率ははっきり言ってかなり低いのではないかと思う。実際、周囲はかなり低いと踏んでいるようだ。周りを見れば、タカハシくんもコニシくんもサトウくんもちょっとだけ気力が回復しているように見えた。

「早く愛那の王子様に出会えないかなぁ」

そう言って祈るような仕草を見せる愛那は愛らしいと思う。彼女の恐ろしい所はこれが素であり、まったく演技していないと言う点だ。そこは私が太鼓判を押す。何せ、私には一切の嘘が通じないのだから。








そんな話をした日の帰り道。いつもと変わらぬ風景の中に、1つだけ違う『ナニカ』が存在した。視界の隅で今時珍しい水色のゴミ箱に頭から突っ込んで、ゴロンゴロンとのたうち回っている物体Xに、例え足が生えていようと、関わり合いになる前にさっさと素通りしたい。だけど私が出来るだけ足音を消して横を過ぎ去ろうとした瞬間、どんな地獄耳をしていたのか、はたまたただの偶然か、「助けてー」と物体Xから声が発せられたのが聞えたのだ。関わり合いにはなりたくないが、このまま知らん振りをするにはいささか心苦しかった。しかし、生ゴミの匂いがほんのりするバケツに手を掛けたくない。悩んだ末、まー、相手も見えてないだろうし、いっか、と思い、超能力を使ってゴミ箱をまるで手で取り上げたように動かして床に転がした。

「あー、助かったよ!」

そう言ってへらりと笑う彼は――――ふわふわで、ハチミツのような金色の髪をしていて、なおかつ顔の造詣もかなり良く、日本語もペラペラと言う、滅多に存在しないであろう王子様の条件を兼ね備えていた。頭の上にちょんと乗った魚の骨が、その全てを台無しにしていたけれど。




ディーノと名乗った外人さんは、イタリアから来た旅行者だと言った。そんな旅行者がフジヤマ、ニンジャ、ゲイシャとは一切関わりの無い並盛町に一体何の目的でやって来たのだろう。群れていないから恭弥の噛み殺す対象外だろうから別に良いけれど。そんな事を考えていたら、「いやぁー」と少しだけ興奮した声でディーノさんは私を上から下まで眺めた後、「こんな可愛い子がsensitivoなんてな!」と言った。センスィティーヴォ。おそらくイタリア語であろうその単語の意味を聞いた事は無いけれど、私の勘がその言葉の意味を明確に捉えていた。超能力者。そう間違いなくこの男は言った。ざわりと肌が粟立つ。




そんな私の不穏さを感じ取ったのか、ディーノさんは取り繕うように謝罪の言葉を口にし出した。

「ああ、ごめん、ごめん。俺の世界ではそんなに珍しくもないからさ。・・・まぁ、君くらい若い女の子は珍しいけど」

笑顔で場を繕うディーノさんに私は警戒心を解かなかった。クフフの彼ですら私が力を使うまで気が付かなかったのに、どうしてバケツで見えなかった筈なのにわかったのだろうか。彼の一挙一動に注意を払いながら観察すると、私の目に気が付いたディーノさんは困ったように笑うと、急に何かを思いついた顔付きになり、ぱぁっと花が咲いたように顔を綻ばせると、勢い良く走り出し、「ちょっと待ってて」と後ろの私に告げると―――思いっきり先程突っ込んだゴミ箱に足を取られて転倒した。




まさかこれを見せたかったのだろうか。いや、そんな筈は無いだろう。そう判断し、頭を押さえる彼の背後に立ち、その後頭部に手を伸ばす。触れた瞬間、視えるのは彼、ディーノさんの情報。必要最低限の分を1秒足らずで読み取った私は、反射的とも言えるスピードで私の手を払いに掛かったディーノさんの動きをテレポートで避けた。

「キャバッローネのボス?マフィア?」

並盛町一帯を支配する幼馴染兼従兄を持っていると、何があってもおかしくないと言う前提で物事を考える癖がついている。覗いた情報から察するに、ディーノさんは大きなマフィアのドン、つまりボスだ。並盛町に以前勢力を広げていた組に恭弥が狙われた事はあったけれど、その組も彼の前では傘下にあるファミリーの中でも中の下か下の上くらいと、取るに足らない。そんな大ファミリーのボスは、どうやらこの間あった後輩くん達の1人、沢田くんに用があるみたいだけど、一体何の用なんだろう。恭弥とクフフの彼を同時に黙らせる力量を持つ沢田くんならば、何の心配も無いけれど。


「読まれちゃったなぁ」と呟くディーノさんは、この事態をどうするか考えて居るようだが、なかなか結論が出ない。うーん、と腕組みして考える姿はボスらしいと思えばボスらしいのかもしれないけれど、歩いて三歩で転ぶのは正直どうかなと思う。







いきなり髪の毛が引っ張られる感覚がした。最初はチリチリと僅かな感覚が次第にジリジリと強い物に変わって行く。私かディーノさんか、どっちにしろ狙われる理由の強い2人がこの場に揃っている以上、最悪を想定して身構えて居れば、「死ね。跳ね馬、ディーノ!!」と叫ぶ黒服の男が現れた。手にはお約束のように銃が握られ、「わわっ!」と慌てながらもディーノさんは手にした鞭で弾丸を弾くという曲芸を見せた。―――ちなみに弾かれた弾丸は私の方に飛んで来たので避けた。


平和な国だからと言って、大ファミリーのドンの癖に1人でのこのこと歩いていたディーノさんが悪いのか、黒服の男は1人また1人と増えて行き、次第にディーノさんも捌き切れなくなって来た。それに加えて何と言うかこの人、腕は良いみたいだけど、元の運動神経が悪いのか運が悪いのか、良く転んだりヘマをする。囲まれたかと言う所で大きく鞭を振ったは良いが、鞭の反動でディーノさんはよろっと倒れた。尽かさず向けられる銃口。流石にこれ以上傍観している訳にも行かないので、ポンと手の平を叩いてディーノさんを連れて空間移動する事にした。咄嗟だったので、移動先が私の部屋と言うのが何とも嫌だったが。



「た、助かった」

ペタリと床に座り込み、ディーノさんは気の抜けた顔でそう呟いた。

「部下の人達に迎えに来て貰えません?長居されると困るので」

目の前で命が失われるのを黙って見ていられる程、非情では無いけれど、見知らぬ人を長時間匿う程、慈悲深くなった覚えも無い。私の言葉に弾かれたようにディーノさんは慌ててズボンの後ろポケットから携帯を取り出すと、部下の1人と思われる人物に電話を掛けた。5分も経たずに黒塗りの高級車が我が家の前に停まり、降り立ったのは渋い雰囲気の男。「ロマーリオ!」と勝手に我が家の窓を開けて叫ぶディーノさんの腕を掴んで、玄関まで強制連行すれば、「ボス、ご無事で!」とロマーリオさんを始めとする部下の人達から暖かい言葉を掛けられていた。その後、交わされた会話から察するに、先程の黒服の襲撃者達はロマーリオさん達の手で『掃除』したらしい。掃除は掃除だ。深い意味など知る必要も無い私は、当分面倒事に煩われる事が無い事に安堵していると、話が終わったロマーリオさんが両手に大きなジュラルミンケースを抱えて私にその中身を見せた。―――ドルとかユーロじゃなくて、福沢さんってところが憎い。


「ボスが世話になりました」とケースごと差し出されたが、私は無言でそのケースの蓋を閉めた。

「いらないよ。その代わり、2度とこういう事がないように、ね」

ケースを押し戻し、そう告げれば、根本からの『大掃除』の予定も入っている事を教えられた。今回の一派からの報復に神経を尖らせる必要がなくなり、内心安堵すると、もう1度ケースを渡されそうになったので、それをまた突っ返し、同じようなやり取りを数回した後、「気にするなら、私の力、黙っているようにボスに言ってくれる?」と告げれば、「勿論、黙っているさ」とさっきまでの鈍臭さが微塵も感じられない笑みを浮かべてディーノさんは言った。




それからと言うもの、『金にも目もくれない、ボスの命の恩人』として私は、ロマーリオさんを始めとするディーノさんの部下の人達に酷く気に入られた。ついでにディーノさん本人からも思いっきり気に入られて、彼らファミリーの日本訪問回数は一気に増え、別の意味で神経を尖らせる羽目になる事を―――私の超能力、未来予知にも引っ掛からなかったので、現段階では知る由もなかった。




、遊びに来たぞ!」
「また来たんですか、ディーノさん!・・・・ロマーリオさん!ロマーリオさん、どこ?!」




王子様とは実際存在したとしても、非常に厄介な存在である事を、教えられるなら愛那に教えたい。そう思うこの頃だ。