カラカラと明るい笑い声。その声の主を憎らしげに睨むのは折原臨也。彼を良く知る人間――岸谷新羅が見たらきっと珍しい物を見たと答えるだろう。完全なる敗北。ゲーム盤をひっくり返そうにも護身用に持ち歩いているナイフはいつの間にか手品用の物にすり返られていた。他のナイフもおそらく同じだろう。現状、強行策以外に思いつかない。しかし、武器を取り上げられた以上、どうにもならない。降参とばかりに臨也が両手を挙げれば、視界の中で年輪を思わせたあのグラデーションが宙を舞った。


「相変わらず手癖悪いよねー。しかもしばらく会わない間に性格まで悪くなったんじゃない?」
「いやいや、私など臨也に比べたら可愛いものだよ」


ぱさり。軽い音を立てて奇妙なカラーリングのウィッグがテーブルに落ちた。漆黒の黒髪が肩に滑り落ちる。表情を隠していた前髪は綺麗に左右に揃え分けられ、生命力に溢れた顔が現れる。好みの差はあれど、大抵の者が綺麗だと答えるだろう。薄い唇に筋の通った鼻。悪戯っぽく細められた目元が何とも艶やかだ。昔はただ単純に綺麗だったが、年を取る毎に色艶が増している。これで性格さえ良かった完璧なのにと臨也はしてやられた苛立ちを嫌味と混ぜる。大抵の人間ならば顔を顰めるであろう臨也の挑発。それをあっさりとかわすと、女は鞄の中からジャケットを取り出し、羽織った。露出したへそも胸元も隠れ、ようやく本来臨也が知る彼女の姿に変わる。


「ところでちゃん。これはどういうつもりなのかな?随分、手の込んだ事してくれたね」
「んー。臨也、新宿に引っ越す時、余計な置き土産してくれたじゃない?あれ、大変だったんだよね。あの頃、大阪に居たから予想以上に潰すのに時間掛かってね。・・・お陰で退屈はしなかったけど。ま、その時のお礼かな。少しは楽しかったでしょ?」
「そうだね。楽しすぎて腹の底からふつふつと何かが湧きそうだよ。・・・シズちゃんに俺、差し入れするの楽しみにしてたけど、そっか、ちゃんが裏で手を回してた訳か」


寒々とした空気の中、互いにこやかに笑い合う。狐と狸の化かし合いなんて言葉が生温く感じる程の光景だった。


しばらく2人は睨み合っていた。笑顔で互いを見つめている。互いの一挙一動に神経を巡らせ、脳裏にいくつもの仮想状況をシミュレートする。見る人間次第では2人は恋人同士にも天敵同士にも見えるだろう。これでこの2人が友人同士、しかもそれなりに仲が良いのだから世の中面白い。


「そろそろ忙しくなるのだから、この趣味もそろそろ潮時なんじゃない?大体、メリットの割にリスクが大き過ぎる」


はどこまで臨也のやっている事を知っているのだろうか。まるで全てを見透かしているような言葉を呟くものの、彼女は止めろとは言わない。


「そうだね。そろそろ・・・忙しくなりそうだ」


そして臨也も止めると明言しない。それがまるで彼ら2人の暗黙の了解であるかのような流れで、どこまでも曖昧な言葉が重なり合って行く。それでもはわかっているのだろう。臨也の『この趣味』はもうじき終わる。既に『別の趣味』を見つけているのだろう。もしかしたらもうそちらの方に移行しつつあるのかもしれない。


「出ようか。どうせ、ここには君以外、誰も来ないのだろう?」


不貞腐れた顔で臨也が部屋を出る。支払いはしてくれるのだろう。手にはリモコン一式が握られていた。その背中を見て、は淡く笑う。


まるで、それは―――これから起こる事を理解し、自分のすべき事を理解した、悟りし者の微笑であった。







「ああ、臨也。君の用意したスーツケースは仕事場宛に郵送しておいたから、クロネコさんから受け取っておいて」
「それはどーも。それで今日来る予定の子達はどうしたの?どうせ、今日入れ替わったってところだろう?」
「ああ。ちょっと先回りして、知り合いに君の偽名を名乗らせた。今頃、人生の楽しさを謳歌出来る場所でそれなりに楽しんでいるのじゃないかな?」
「どこ?そこ?」
「ホストクラブ」
「ハッ、アハハハハ。これは傑作だ!これでどっぷりホストに嵌って、有り金全部貢いだらどうするんだい?」
「そこまで責任は持てないよ。・・・ま、良いんじゃない?生きていれば良い事ある。例え、有り金注ぎ込もうと、失恋の痛みは忘れるかもしれないし、就職して通えるように頑張るかもしれない。ま、私の1回分の仕事代渡して来たからそれなりに良い夢見れるよ」
「藍屋の1回分の仕事って・・・結構良い値段しなかった?」
「さあ?ピンからキリまでだからね」
「いくら?」
「内緒」
「いいもーん、調べるから」


拗ねた物言いの臨也に可笑しそうにが笑う。普通とは言い難い関係の2人は池袋のネオンの中を並んで歩いた。


聞き慣れた怒号が聞こえるまで。