あの後、佐助の部下にお騒がせしましたと謝って、二人で住んだあの家が完全に燃えるのを最後まで見届けて。黒煙が燻る現場に二次災害を防ぐよう、念入りに水を掛けて回れば、私も佐助も顔が煤で汚れていた。

、今、凄い顔だよ」
「佐助こそ。男前台無し」
「マジでー。それなら早く顔洗わないとなぁ」

あははと笑う佐助の顔を見て、内心ほっとする。2年前、戦国時代のここ甲斐の国にやって来た私は、その一年後、やって来た日と同じ状況に陥り、元の世界に戻る事になった。戻った瞬間、現在時刻を確認すると、時がまったくと言っていい程流れていない事に驚いた。精々分単位の時間の間、戦国時代で一年を過ごして来たのだった。


急に気が抜けて、しばらくベットに横になる。時計の時を刻む音や、つけっ放しのPCの電子音、遠くで聞こえる電車の音。その全てが懐かしく、そして現実世界に戻った事を如実に知らしめる。しばらくベットで横になるものの、疲れている筈なのに睡魔は一向にやって来ない。戻った時から感じる脱力感を拭うべく、シャワーを浴びるために立ち上がった。


心地よい熱を帯びた水滴が全身を満たす。久しぶりの感触に目を閉じれば、思い出すのは彼の顔。光に包まれ、消えて行く私を最後まで抱き締め、悲痛な顔で涙を流す佐助の顔を思い出す度、胸が酷く痛んだ。


感情を消さねば生きて行けない。それが忍だと佐助本人からいつの晩だっただろう、聞かされた事がある。それならいつも笑顔の佐助は忍らしく無いの?と尋ねれば、俺も忍さと苦笑いを浮かべた彼が居た。忍隊の長をやってる時点で、忍らしく無くとも己を殺さなければならない事には変わりは無いのに。


そんな彼があんな顔をするなんて。そう考えただけで悲しく切なくなった。


思えば彼はいつも笑顔だった。突然現れた私に刀を突き付けた時ですら。それでも笑顔は笑顔でも感情の差異が読めるようになったのはいつからだろう。潔癖症な彼が血のついた忍装束のまま帰った時には、空は青々としていて、そのミスマッチさに言葉を失った時もあったけれど。それ以来、度々彼は優しい笑みを浮かべるようになったのに。戻って来てしまった。大した別れの言葉も伝えられないまま。

「お互い泣き顔なんて嫌よね」

独白が浴槽に木霊する。泣けば楽になれるのだろうか。そんな事を考えながら頭から激しく降り掛かる水滴を受けたのだ。シャワーは良い。泣いても水と音が消してくれるから。







元の世界に戻った後、気がつけば向こうの世界や佐助の事を考えている私が居た。流行りの歌も服も本も、以前に比べれば興味が持てない。逆に煩わしい時もあるくらいだ。生まれてから今まで生きてきたこの世界がすっかり色褪せてしまい、焦りを感じた頃、それは唐突にやって来た。


あの戦乱の世に行く方法が。


今まで感じた空虚な何にも興味が持てない自分自身が嘘のように、方法を確かな物へと固めて行く事、三ヶ月。戻ってから早半年が過ぎた頃、その術はようやく完成を向かえ、あの日と同じ満月の夜に旅立ったのだ。







一頻り笑い合った後、佐助の顔を見ればそこには真剣な表情の彼が居た。目は口ほどに物を言うとはよく言ったもので、彼の目は何も口にしなくても一つの問いを投げかけるのだ。

「今度はさ・・・その・・・言い辛いけどね・・・」
「いいさ。こうして来てくれたんだから。もしまた戻っても待つよ。ただし、必ず来てくれ。頼む」

勘が良いのも問題がある、と溜息をつく。今までの状況を考えれば、佐助がその結論に辿り着くのは仕方の無い事だけれど。まさかこんな結末を持って来るとは、さすがの猿飛佐助も予想しなかったのだろう、と結論付けた。

「あー、その、あのね、今度はその・・・」
「その?」
「もう戻れないの。向こうに」
「はっ?!」

がしっと肩を押さえられ、それで本当に良いのか?と揺す振られる。良いも悪いも無い。良いから術を使ったのだ。一度目は偶然で飛べた時間旅行。二度目の旅行は帰る術の無い術。それでも会いたかったのだ。彼に。佐助に。


そう伝えたら、あの空の青い日と同じように優しい笑顔で抱き締められる。彼の胸に顔を預ければ、トクトクと脈打つ彼の鼓動が聞こえた。ああ、帰って来たんだと浸っていると、頭上から聞こえる彼の声。ね、良いよね?と問う声に、その言葉の意図を捉えずに頷けば、唇に彼の唇の熱が加わった。


大げさだと思うだろうけれど、本当に時が止まったような感覚に陥ったのだ。彼の唇が離れた後も、唇の感覚が残ったまま、何度も何度もあの感触が頭の中で繰り返される。


キスしちゃった、キスしちゃった、キスしちゃったっ!!


佐助と暮らして半年、何も無かったと自白するのも恥ずかしいが、実際何も無かったのだ。それがあーえーとうん、キスである。接吻。それをされたのである。火照る頬。抱き締める佐助の顔を覗き込めば、満足そうな笑顔の彼。それを見てまた頬が火照り、恥ずかしさのあまり、とりあえず逃げなきゃと言う結論に至り、彼の腕を解こうともがいてみるものの・・・。

「ああ、恥ずかしいのはわかったから、頼むから逃げないでって!」

その言葉の必死さにとりあえずもがくのを止めると、佐助は溜息をつきながら私の頬をぷにっと押した。子供扱いされているのだろうか。何だか悔しい。

「それで、はこれからどうしたい?」

どうするの?では無く、どうしたい?と聞くのが彼の優しさの現われなのだろう。どうするの?と尋ねられても、実際、この時代において自分は非力で生活能力に欠けている。出来る事ならまた佐助と暮らしたい。けれど家を燃やしてしまった程、彼を追い詰めた自分が、それを言うのは浅まし過ぎはしないだろうか。


しばし無言の私の瞳を覗き込むように見ていた彼は、良かったらと話を切り出して。ああだこうだとしてる間に、気がつけばまた彼と暮らす事になっていた。

「そんな訳でよろしく」
「良いの?」
「良いも何も俺がそうしたいだけでって、あー、そんな風に泣かないで、頼むから」
「だって、私、佐助、苦しめたから」

二人が一緒に暮らした家は、残骸が殆ど残らない程、燃え尽きてしまっていた。おそらく油か何か可燃性の物を仕込んだのだろう。その手の込め具合が、彼の心の傷の深さを伺わせた。

「苦しんだのはも一緒でしょ?」

その問いにコクコクと頷けば、俺様以外、誰と一緒になろうって言うの?と、どこまでも明るい顔の佐助が居た。その顔を見て、来て良かったと心から感じる事が出来たのだ。