その日、青峰大輝は退屈だった。


本来ならば今日青峰は部活の遠征に行く予定だったが、法事により隣県に住む親戚の家に行く羽目になった。名前しか知らない昔に亡くなった人らしく、もう最後らしい。三十三回忌という聞き慣れない単語を理解出来ず、しかし、理解しようとも思わず、家族と共に親戚の家を訪れた。正座とお経と親戚同士の話から解放された時には精神的にぐったりと疲れを覚え、ぱぁーっと発散しようと帰宅後、通い慣れた公園の一角に足を運んだまでは良かったが、


「誰もいねぇ」


春休みのこの時期、暇な大学生や高校生が良くこの公園のバスケットコートで遊んでいるのだが、今日に限って誰もいなかった。ガックリと肩を落とし、持参したボールで軽く戯れる。ダムダムダムとボールはいつも通り弾むものの、今1つ青峰の気が乗らなかった。誰でもいいから来ないかなと淡い期待を抱くものの、誰も来ない。今日は帰ろうかと不機嫌な顰め面でコートを後にしようと振り返れば、コート内に人影があった。


「お?」


見慣れない顔だった。小柄で自分よりも1回り以上も小さく、羽織った紺色のパーカーの袖が余っていた。すっぽりとフードを被っており、体型とフードから垣間見れる顔立ちから察するに自分よりも年下だろう。小学生くらいかと青峰は推測する。


「よぅ」


愛想良く青峰は挨拶をしたつもりだったが、相手は無言だった。普段ならそこまで気にしない青峰だったが、気晴らしも出来ずにフラストレーションが溜まっていたので軽く眉を顰めた。


「なぁ、お前もバスケするのか?」


それでも青峰がこの小学生を相手にしたのは退屈さとバスケの相手が欲しかったからだ。例え初心者でもこのまま1人よりはマシだろう。そう思って声を掛ければ、言葉すらなかったが、コクリと小学生は頷いた。


「じゃあ、やろうぜ。俺も暇なんだ」


ぽいっと青峰がボールを投げる。円を描いてボールは小学生の腕の中に収まった。コクリとまた頷くと、小学生はボールを叩き付けた。ダム、ダム、ダム。ブレないドリブルだった。基礎は出来ているのだろう。お手並み拝見と青峰が両手を広げてディフェンスに入る。


「あ゛?」


いつ動くかちゃんと見ていた。部活や試合程の真剣さはなくとも、小学生程度の動きなら補足出来る筈だった。それなのにも関わらず、いつの間にか小学生はするりと青峰のディフェンスをすり抜け、ゴールネットを揺らしていた。唖然とする青峰にボールが飛んで来る。投げた当人は青峰の前に立ち、ディフェンスの体勢を取った。どうやら交互に攻守を切り替えるつもりらしい。




意図を掴んだ青峰は破顔すると、ボールを持ち替えて立ち塞がる小学生と向き合った。年齢に見合わない鋭さを伴った切れ長の目が大きくなる。言葉は無いが、目が通さないと語っていた。面白い奴だと青峰は内心ほくそ笑んだ。







「お前、強ぇーな」


結果は青峰の惨敗だった。いつの間にかボールが取られている。いつの間にかディフェンスを突破させられている。チームメイトに1人そんな奴がいたが、あいつとはまた別の、一言で言うならばとにかく素早いバスケをする小学生だった。年下に負けて悔しかったが、それ以上に年下でこれだけ出来る相手と出会えた事が嬉しかった。感嘆の声を上げれば、向こうは困ったように視線を動かした。


「君も強い」


ポツリと小学生が言葉を漏らした。結果が結果だったので素直に受け止める言葉では無かったが、不思議と青峰には嫌味には感じなかった。


「何だ、喋れるのか」


ワンオンワン中も頑なに喋るのを拒んでいるようにも見えたので、てっきり喋れないのかと思っていたが実はそうではなかったらしい。するりと出て来た言葉にまた困った顔で視線を動かせた。


「喋る 苦手」
「苦手なのか」
「はい 苦手 日本語 下手」


ようやく青峰にも理解出来た。


「あ、日本語が苦手なのか。他の言葉なら喋れるのか」
「はい 英語 喋れます」
「日本語も喋れてるじゃねぇか」
「私の日本語 おかしい 言う」
「誰かに言われたのか?」
「はい おかしい 笑われた だから喋らない」
「あんまり気にしなくて良いと思うぜ。俺も英語さっぱり喋れねぇから」
「君 優しい」
「そうか?」
「はい」


フードの下で笑うのが見え、青峰もつられて笑った。


「あ、暗い」
「あ?」


しばらく他愛の無い会話をしていたが、その言葉に青峰は空を見上げた。夕焼けが空一面に広がっている。部活で帰宅が遅い青峰にはそれ程遅い時間では無かったが、小学生にとってはもう遅い時間なのだろう。


「あ、悪いな。引き止めてしまって」
「君 悪くない 話すの楽しかった ずっと話してなかった」
「そうか」
「そろそろ帰る 楽しかった」


立ち上がり駆け出そうとするが、青峰は反射的に引き止めた。パーカーの背中を引っ張ることで。びよーんと余り気味のパーカーが伸びる。


「あ、お前、名前教えろよ」
「名前?私の?」
「そう、お前の名前。俺は青峰大輝」
「青峰大輝」
「好きに呼べよ」
「青峰大輝」
「フルネームかよ」
「だいき」
「ん。お前は?」
「私はです」
「あ、お前、日本人?ってか、その名前、女??」


カタコトの日本語にてっきり外国人の少年とばかり思っていたが、出て来た名前と名前から察せられる性別に青峰は意表を付かれた。


「私 日本人 女 ずっとアメリカいた」
「ああ、だからそんなにバスケット上手いのか」
「バスケット 喋れなくても出来る」
「そうだな。あ、俺、今、春休みだから部活無い日にここいるから遊びに来いよ」
「春休み 私と一緒」
「ああ、この時期、小学校も春休みだもんな」
「私 小学校 違う ミドルスクール」
「ミドル??」
「中学校」
「え?お前、中学生?」
「中学生 13歳」
「同じ年かよ!」


青峰の中の固定概念がガラガラと音を立てて崩れ去る。女に負けた事が今更になって悔しさに変わるが、アメリカ帰りという言葉には納得が行った。


「だいき」
「お?」
「楽しかった また バスケ しよう」
「おぅ!」


女に負けた事を悔しく思いながらも、必死に表に出さないようにしていた青峰だったが、少女の笑顔を見た途端、急にどうでも良くなってしまった。楽しかったと笑顔で話す少女に対して性別の違いなど大した問題では無い事に気がしたのだ。


「次は負けねぇからな!」


性別には拘らないものの負けたままで居られる筈もなく、青峰の言葉に少女は頷いた後、「またね」と言って手を振り、コートを後にした。


誰も居なくなったコートをぐるりと見渡し、隅に転がったバスケットボールを青峰は拾い上げた。やる気も無く妙な体勢から放り投げたボールはそのままリングに吸い込まれ、転がったボールは早々と青峰の腕に収まった。