【邂逅】

クレアは悩んでいた。


(次から次からトラブルが舞い込んで来るものだ)


そう心の中で呟くと、クレアは赤く染まった顔の目の周り部分だけを軽く指で拭き取ると、目の前の女と向き合った。


第一のトラブルは、今日の仕事の相棒とも言うべき年老いた車掌から銃を突きつけられた事だ。いつもと違って少しだけ落ち着きの無さを見せながら、それを必死に隠そうとする姿にどこか胡散臭さを嗅ぎ取ってはいた。しかし、仕事に関しては特に問題なくこなしていたので、きっとプライベートで何かあった程度にしか思っていなかったが、真面目な車掌の正体が革命派と呼ばれるテロリストの一員だとは。


車掌にあるまじき行為の数々を口にした後、銃を向けて来た車掌の手をかるーーく足で撫でれば、弾かれた銃は自分の手元に落ちた。手に収めて逆に撃てば、テロリストと名乗った男は眉間に穴を開けて壁を背に崩れ、あっけない最後を迎えた。


黒服か白服か。レムレースと名乗るテロリスト集団が果たしてどちらなのか。


(そういえばどちらもカタギには見えない雰囲気だったな)


搭乗手続きの際に感じた印象を思い出しながら、さてどうしようと考えていると・・・。その思考は突然現れた闖入者によって破られた。


第二のトラブルは突然現れた車掌・・・いや偽車掌の存在だ。この列車に限らず、大抵の列車には万が一に備えて車掌が二人乗っている。今日、この列車に乗る予定になっているのは、クレアと先程殺した年老いた車掌の男だけだ。では、この男は?湧き上がった疑問と共に嫌な予感がクレアの胸をざわめかせる。クレアにしてみればちょっとした拷問を行ったつもりだったが、男は簡単に口を割った。車掌や関係者以外入手困難な車掌服、その出所を尋ねれば、予感は的中した事をクレアは知った。


陽気な車掌、トニー。今日、クレアが交代した車掌の一人であり、クレアに仕事を教えてくれた先輩であった。許さない。それ相当の報いを受けて死ぬと良い。思うやいなや、クレアは掴んでいた偽車掌の体を更に低くする。男の悲鳴はけたたましい列車の車輪の轟音に紛れ消えて行った。


クレアが偽車掌、ディーンの体を無造作に車掌室に投げた時、ようやくもう一人の闖入者に気付いた。


(やれやれ、今日は予期せぬ客が多すぎる)


心の中で皮肉めいた事を考えてみるが、女は血に染まったクレアをしばらくの間凝視した後、惨たらしく損傷した車掌の格好の死体に近付いて、殆ど削り取られたその顔を覗き込んだ。常人なら目を背けるであろう凄惨みを帯びていたが、女は軽く眉を顰めただけだった。取るに足らないと言わんばかりの姿。やはり人違いでこちらが殺し屋ルージュかとクレアが思考が動き出した頃、今まで黙り込んでいた女が口を開いた。


「どちらが本物の車掌さん?」


(ああ、何て俺好みの女なのだろう)


クレアはにぃっと唇を歪めると、血塗れの手で自分を指差した。





【赤い男】

車掌室の眉間を撃ち抜かれた男を見つけてすぐ、奥の開けっ放しのドアの向こうから何かが放り投げられた事を察知した。


の動きは実に見事だった。ハイヒールと言う不向きな靴を履きながら、素早いステップで後ろに下がる。降り掛かって来た大量の血が眼下に迫り、血塗れになるのを阻止すべく左に避けた。その間、僅か数秒。


もしも、今のの動きをクレアが目撃していたならば、件の殺し屋と判断しに襲い掛かって来たのかもしれない。もしも、が銃声に気が付かずに食堂車でアイザックの怪談話を聞いていれば、血塗れのクレアを見て、その話に登場する怪物だと思ったのかもしれない。


それらは全て『もしも』の話だ。


実際のクレアはに襲い掛かる事無くその動向を窺うだけ、対するも血塗れの男に少し驚いただけであった。


「レムレースにラッド・ルッソですか・・・」


赤い男から既に事切れた男二人の素性を聞くと、は少し考えを巡らす。あの軍隊のような統率の取れた動き、黒服がレムレースに間違いないだろう。列車で何かやるつもりならば、楽器ケースの中に武器を隠し持っている可能性が高い。


白服の中心人物がラッド・ルッソならばあのハイテンションさも納得も行く。白服集団の持つ剣呑さを含んだ空気は、獲物を探す獣と良く似ている。列車で彼らが何かやるつもりならば、文字通り殺るつもりなのだろう。


最早はこの赤い男を自分の敵だと認識していなかった。敢えて誘い込むように無防備なまま男に接してみたのだが、男は少々怪訝な顔をしながらもに危害を加える事はしなかった。


二人の車掌を殺したのは自分だと語る赤い男。男は血で顔の殆どが隠れてしまっているが、目を覗けば真実を語るそれと同じだとは判断したのだ。少々行き過ぎだが、己に降り掛かる火の粉を払ったに過ぎないのだろうと男の行動を結論付ける。


「乗客に被害が出ないと良いのだけど」


の耳が銃声を捉えたのは一回だけ。しかも、撃ったのは目の前のこの赤い男だ。まだ黒服も白服も本格的に動いていないとは思うが、レムレース一味の車掌や偽車掌が動いた以上、もうじき動き出すだろう。面倒事には関わりたくないので、当初の予定では食事を済ませたら人目につかない場所で全てが終わるまで過ごすつもりだったが・・・。


の脳裏を食堂車で過ごした気の好い人達の顔が過ぎる。


見捨てれない程に関わり過ぎてしまった。今更見捨てる事は出来ない。後悔が何よりも苦いと言う事をは知っているからだ。


踝を返し、歩き出す。その背に赤い男の声が飛ぶ。


「どこに行く気だ?」


その問いに対する明確な答えを持たないは、しばし思案した後、言葉にする。


「とりあえず乗客に危害を加えようとする人は狩ろうかと思います」


血だらけの部屋に不釣合いな優雅な笑みを浮かべて、はそう告げた。





【狩る側】


その女、は笑顔で散歩にでも行くような気軽さでその言葉を口にした。


「とりあえず乗客に危害を加えようとする人は狩ろうかと思います」


その言葉にクレアはしばし考える。1度は疑って掛かったが、クレアも女を敵とはもう考えてなかった。


血に慣れている事、凄惨な死体に慣れている事。それも同業者ならば説明が付く話だが、仮に目の前のこの女が殺し屋だと仮定して、血塗れの男を前にして警戒を解く筈が無い。余程の馬鹿か相当の実力者か。後者の可能性も考えられない訳でもなかったが、クレアの直感が女が同業者では無いと判断した。


その矢先の発言がこれである。疑ってくれと言わんばかりの物騒な発言に、クレアは眉間に皺を寄せた。


「狩る?」
「はい」


念の為、聞き返してみたが、どうやらクレアの聞き間違いではないらしい。


「殺す気は無いので。気絶させてどこか一箇所に押し込めておきますよ」


にっこり首を傾げて笑う様は、花が綻ぶような美しさ。荒事に慣れているのに、粗野な所が無く、自らを削る事も穢す事も無く、見る者を魅了する美しさを持っていた。


気が付けばクレアは女の細い手を取って、自分の方に引き寄せた。突然の事ながらも、クレアの一挙一動がゆっくりと緩慢で、優しい印象を与える動きだったせいか、女は驚いた表情に変わるものの、声を荒げず抗いもせず、静かにクレアの次の行動を見守っていた。


血に濡れた真っ赤な姿のまま、手を取り、真剣な眼差しで告げる。


「結婚してくれ」