【プロポーズ】
は困惑していた。心の中で激しい感情が渦巻いていたからである。
生まれて初めてのプロポーズである。食堂車で語った身の上話は嘘ではない。御伽噺に出て来るような夢現の話に似た掟ではあると本人も思っている。しかし、生まれた時から仲睦まじい両親を見て育ったも、何れ自分も両親のように素敵な伴侶を見つける事が夢であった。
旅に出て3年目。ようやくのプロポーズの言葉である。
嬉しい。かなり嬉しい。
しかし、ふと我に返って考え直してみる。の理想の旦那様は強くて優しい私だけを愛してくれる人である。
目の前の男をまじまじと見る。
拳銃を持った相手を軽くいなし、偽車掌をあそこまでズタズタに出来るのだからおそらく強いのだろう。わかるのはそれだけだ。初対面なのでこれ以上の情報を得るには、どんな形であれ付き合っていかなくてはならないだろう。
(この場合、何と答えるのが最良でしょうね)
満更でも無さそうな表情で、セティーナは答えを待つ男を静かに見据えた。
【返事】
クレアは女の顔をずっと見ていた。握ってみた手は思った以上に小さくほっそりとしたもの。その手の持ち主はずっと黙って何かを考えている。困惑した表情ではあるが、その表情に嫌悪感が混じっていない事がクレアにとって救いだった。
静かな車掌室。聞こえるのは列車の動く音。
ガタンゴトンガタンゴトンガタンゴトンガタンゴトン。
その音に混じって銃声が響く音がクレアの耳に届いた。その音に女も顔を上げる。
最初に一発。その後、続け様に二発。そして、連続して聞こえる発砲音。
マシンガンでもぶっ放したのだろうか。クレアが音のした方向を見ると、女の指が手から離れて行くのを感じた。クレアから離れた女は身を翻し車掌室の緊急用の扉を出た。ハイヒールにドレスと言う動きにくい格好を微塵と感じさせない動きは、クレアから見ても見事だった。
後を追うクレア。車両の屋根の上に既に移動していた女は、音のした食堂車の方向を一瞥し・・・
「すいません。返事は後片付けが終わってからで良いですか?」
その言葉にクレアが頷く。
「後で名前教えてくださいね」
そう言って、女は食堂車に向かって屋根の上を猛スピードで走って行った。
(脈ありって事だよな。)
生まれて初めての好感触にクレアは口角を歪める。
(さっさと片付けて返事聞かないとな。)
先程まで女の手を握っていた手を見る。そこだけ血が拭られていて、手の跡がはっきりと残っていた。その跡に気を良くしたクレアは走る列車の側面の装飾に掴むと、器用に側面を移動して行った。
【朝日が昇る頃】
は貨物室の前に居た。
貨物室は全部で三つ。一つは黒服の死体が転がる血塗れの空間。は最初黒服達の弾薬庫とも呼べるこの場所を押さえようと思ったのだが、既に赤い男が『お仕事』した後で、流石に車掌室以上にスプラッターなこの場所に人を押し込めないと判断し、次の扉は開ける前から聞き覚えがある声がして、否応無く最後の一つをは『使う事』になった。
大小様々な木箱が積み上げられ、その前に両手両足を縛られ猿轡を嵌められた白服と黒服が転がっていた。黒服の方が若干多い。白と黒の群れにはまた一人、捕まえて引き摺って来た男を加える。
どさり。
男が転がされた音。決して大きくは無い音に、猿轡をしたどの顔も歪む。荒事に長け、人を殺した事もある男達の顔に恐怖の色が浮かび、身を震わせる。そんな男達の恐れの色を見たはにこりと微笑むと、安心させるように優しい声音で告げた。
「もうじき夜が明けるので、もう少しの辛抱ですよ」
そう言っては貨物室から出て行った。その見当違いの台詞は訂正される事無く男達の耳を通り抜け、貨物室の扉の閉まる音が男達の心に無情に響くのだった。
貨物室を出たの耳に、カンカンと鉄板の上を叩くような音がいくつも聞えた。それは少し前にセティーナが列車の屋根を走った時に聞いた音と良く似ていた。顔を上げるが、何も見えない。音が向かった方向に走れば、ようやく屋根の上に人影のような物を見つけた。
がその現場を目視出来た頃、物語はクライマックスを迎えていた。
怪談1つで怯えた弱々しかったジャグジーはもう居ない。車両の上に居るのは強い意志を湛えた一人の男。ジャグジーと対峙するように立っているのは一つの影。朝日をバックに車両の上の屋根で佇む影。は朝日の眩しさに少し目を細めるものの、それが自分にプロポーズして来た赤い男だとシルエットを見てすぐ悟った。
何故、ジャグジーと赤い男が向き合っているのか。
何故、ジャグジーが恋人が持っていた爆弾を掏って、赤い男に向かって突進したのか。
何故、無抵抗のまま、赤い男はジャグジーと共に車両の上から落ちて行ったのか。
何故、こんな状況が生み出されたのか。
その答えを出すには情報が足りな過ぎた。
落ちるジャグジー。
落ちる赤い男。
光景には悲鳴交じりの声を上げた。
その声は後から続いた大きな爆音に掻き消された。
クレアと女は叫んでいたかもしれない。もし、名前を聞いていればの話だが。は赤い男の名前を知らなかったので、悲鳴と共に口から漏れた言葉は、『まだ名前も聞いていないのに』であった。
爆音があったのにも関わらず、列車は進む。進む列車から落ちた以上、そこに二人が居る筈が無いのに、は二人の落ちた車掌室の傍まで走って行った。すると・・・。
ズボンの太股部分から血を滲ませたジャグジーが、向こう側から足を引き摺りながらも急いで走って来る姿が目に映った。満身創痍なのに関わらず、会って早々の心配をするジャグジー。怪我の程度を聞けば、痛いけどまだ頑張れると強く言う姿には涙が出そうになった。
「早くニースに姿を見せてあげて」
がそう言うと、動転していてようやく思い出したのか、ジャグジーはスイマセンと謝罪の言葉を残してニースの居る車両目指して駆け出して行った。その後ろ姿を見送って、ほっとは胸に手を当てて安堵の息を吐く。
(ジャグジーが無事ならば、彼も大丈夫。)
その思いは後ろから伸びて来た手により、をまた現実に引き戻した。瞬時に頭と体を戦闘態勢に切り替える。だが・・・。
「悪い、心配かけたな」
優しく耳元で囁かれ、髪をくしゃりと撫でられる。切り替えたばかりの戦闘態勢を元に戻して振り向けば、そこには前以上に真っ赤な男が居た。
「良かった」
優しく抱き寄せられ、はクレアの腕の中に身を寄せた。
「俺の名前はクレア・スタンフィールド」
の肩から顔を上げ、クレアが名乗る。呼応するようにも名乗り顔を上げれば、熱を帯びたクレアの目と合った。思わず顔を背けてしまったが、顎に指が這う感触を感じた時にはは再びクレアと向き合っていた。
顔に熱が集中する感覚。再び背けようとしても、顎を押さえられていては出来る筈もなく、朝日が差さない廊下の一角で、赤い顔の女と全身真っ赤な男は見詰め合っていた。