定刻よりも大分遅れての列車は到着した。ゾロゾロと乗客達が降りて行く。どれもこれも疲れた表情で、中には酷く汚れた格好の男もいた。擦れ違った時に生臭さを嗅ぎ取った。嗅ぎ慣れた慣れた匂い。血臭だった。
その列車に乗っている筈の幼馴染の姿はどこにもなかった。
『その後の』赤い男と青い女
到着するのは豪華絢爛な列車な筈なのに、ホームに到着したのは軍のイメージの強い薄い灰色に塗装された飾り気の無い列車だった。ゾロゾロと降りる乗客の中には、列車には不釣合いな宝石や服装の者も居た。待っている間に何度も聞いたアナウンスが繰り返される。お詫びから始まったアナウンスは、列車の故障による到着の遅れを伝えるが、その事実と反する人間が何人か見受けられた。気弱な顔に大きなイレズミを入れた男がヒョコヒョコと足を引き摺りながら歩く。擦れ違った時に感じたのは先程と同じ血臭と火薬の匂いだった。列車の故障と言うよりも、事故。事故と言うよりは事件だったのだろう。それも武装した乗客の起こした。そんな推理が導き出された。正解なんてどうでも良い。状況から何が起こったか推測する事は癖のようなものであるし、何があろうとあの幼馴染はピンピンしているに違いない。
こちらに近付く者の気配がし、意識をそちらに集中する。これも癖だ。職業病と言って良い。やって来たのは駅員だった。呼ばれたファミリーネームに頷くと、駅員は頼まれたと言う手紙を渡して来た。裏を見れば幼馴染の名前。封を切ると1枚の紙。待ち合わせの場所の変更が簡潔に書かれていた。他の2人にも見せる。
「行きますか」
待ち合わせ場所に移動すると、幼馴染の姿が見えた。地毛である赤い髪は良く目立つ。その隣に立つのは華奢な体つきの女性。青のドレスが良く似合っていた。
仕事には定評がある幼馴染だが、女性に関して言えば多少の問題があった。女癖が悪いと言えば悪いのかも知れない。なにせ気に入った女性に片っ端から結婚してくれと言っているのだから。だから隣に居る女性もきっと街を歩いて居た所を幼馴染に話しかけられただけだと思っていた。幼馴染曰くプロポーズ、こちらが見る分にはナンパにしか見えない行動。邪魔すると後々煩いかもしれない。「お前のせいで失敗した」なんて言われてもこちらが困るだけだ。だからいつものように失敗して、女性が立ち去るのを待った。
しかし、一向に女性は幼馴染の傍を離れなかった。時折、笑顔さえ浮かべている。これはもしかするともしかして、なんて考えていたら、こちらに気が付いた幼馴染が大きく手を振った。隣の女性もこちらに気付くと、柔らかく微笑んだ。・・・・・・あの女性はクレアさんの知り合いだろうか?
「紹介するよ。俺の婚約者のだ」
「クレアさん、どこから攫って来たんですか!」
出会い頭にそんな台詞を吐かれ、思わずそんな言葉を口にしていた。
遠目ではわからなかったが、クレアさんの隣に居た女性は物凄い美人だった。10人中10人が美人だと言う程の絶世の美人。服装や立ち姿から見る限り、先日会ったご令嬢と同じ品の良さが感じられた。攫って来ない限りこんな美人、そうそう恋人になど出来ないだろう。婚約者なんてどんな手を使ったのやら。
「人聞きの悪い事言うなよ、ラック。ちゃんとプロポーズしてOK貰ったぜ。な!」
隣に居る女性、さんにクレアさんが同意を求めると、さんは嬉しそうにコクリと頷いた。「マジかよ・・・」とベル兄が漏らし、キー兄も唖然としていた。
「大体にして、変な手を使ったりしてOK貰ったら、後でキースの兄貴に何言われるかわかったもんじゃないだろ?」
そう言われると確かにそうだった。キー兄は仲間には優しいが不正を犯した者には容赦無い。
「キースさん、ベルガさん、ラックさん、初めまして。・と申します」
そう挨拶する姿はやはり洗練された上流階級のご令嬢そのものだった。にっこりと笑う姿は優雅の一言に尽きる。・・・・・・クレアさんは自分の、そして私達の職業をちゃんと伝えているんだろうか。心配だ。
さんを促して、クレアさんは歩き始めた。その隣をさんが歩く。その後ろを私達が続く。人気の少ない街の路地裏。我々のようなマフィアや闇世界の人間が蠢く場所。さんには些か不似合いな場所だ。クレアさんが居なければ物の数分で身包み剥がされてしまうかもしれない。人身売買だって行われている世の中だ。これだけ綺麗なら攫われてしまってもおかしくない。色々と人の恨みを買う身だが、兄弟のように一緒に育ったクレアさんに婚約者が出来るのは純粋に嬉しい。けれど自分以上に恨みを買っていそうなクレアさんの妻になるのに、この美しい人で大丈夫なのだろうかと不安もあった。
「で、誰を殺せば良いんだ?」
クレアさんの言葉にキー兄が少しだけ眉を顰めた。ベル兄も少し呆れている。クレアさんらしいと言えばクレアさんらしいが、婚約者の手前、少しは気を使うべきじゃないのだろうか。これでは早々に逃げられるかもなと思ったが、さんはニコニコと笑うだけだ。
「あ、お気になさらず。クレアさんの職業は理解してますので」
真っ当な常識人にあるまじき発言だった。世間知らずなお嬢様でも人を殺す職業には嫌悪感を示す筈なのに、さんの表情からは一切それは無かった。一体どんな生き方をして来たのだろう。
運動不足だと嘆くクレアさんは本気の仕事をしたいと言った。行く先は事務所なので、どんどん周囲の治安の悪い地域に入って行く。普段ならばこんな心配などしないが、今日はか弱い女性が一緒に居るからだからだろう。万が一、襲撃があってもクレアさんがさんを守るだろうが、それでももしもの事を考えれば不安は消えない。案の定、事務所までもう少しと言う細い路地の所で2人組の武装した男が現れた。銃を向けた瞬間、クレアさんが動く。少しだけ遅れて私も動いた。ベル兄の影にさんを隠し、流れ弾からも身を守らせたつもりだったが、後ろの路地の影から同じく武装した男が3人現れた。どの男達の手にも銃、しかも1人は連射出来るショットガンを持っていた。銃を構える襲撃者に対してキー兄と私が懐から銃を引く抜くが、勝敗はすぐに決した。
発砲音と共に、目の前を青い影が霞めた。
「危ないですよー」
まるで子供の悪戯を叱る口調だった。さんの足元に転がるのは3人の襲撃者。発砲するも当てる事も出来ずに、次々と襲撃者達は地面に転がされた。見事な動きだった。無駄の無い素早い動きは、クレアさんに匹敵するかもしれない。
「お怪我は無いですか?」
その姿はやはりどう見てもどこぞのご令嬢にしか見えない。けれど普通のご令嬢はマフィアのヒットマンをこんなにもあっさり倒さない。少しだけ上擦った声で「大丈夫ですよ」と言えば、「良かった」とさんは笑った。
「そこの3人の処遇に関しては、そちらにお任せしますね」
人の心配をしたかと思えば、自分の倒した襲撃者を冷酷に裁く。これでもこの世界に入ってからそれなりに長い。取り仕切る仕事柄、人を見る目もそれなりにあったつもりだが、さんに関して言えば全く通用しない。酷く矛盾した存在に見える。外見は華奢で美しく、立ち姿は優雅で洗練されていて、中身は優しさと鋭さが同居している。クレアさん以上に未知数な人だ。ある意味、お似合いなのかもしれない。
「こっちも終わったぞ」
「・・・クレアさん、汚れちゃったじゃないですか」
顔にベットリと血糊を付けてクレアさんが戻って来た。もうあのコートや服は着れないだろう。黒だから目立たないにしても、葡萄酒を樽で浴びたように滴る血や匂いはどうしようもないように見えた。
「派手にやりましたね」
さんが駆け寄ると、ハンカチでクレアさんの顔の血を拭く。女性用の綺麗な刺繍の施されたハンカチはあっと言う間に真っ赤に染まった。クレアさんの顔は先程よりはマシにはなったけれど、頭から血を被ったから拭いても拭いても髪から血は伝って来る。シャワーでも浴びなければ綺麗にはならないレベルだったが、その気持ちが嬉しいのだろう。クレアさんは上機嫌で大人しく顔を拭かれていた。
常人なら顔を顰めるほど酷い血臭だった。けれどさんは平然とクレアさんの顔を拭いていた。健気な姿にも見えなくは無い。拭いているのが血でなければ確実に言い切れるのだが・・・・・・。事務所に続く道には無いが、きっと近くの別の路地に無残にバラバラにされた人の肉体だった物が転がっているに違いない。しばらくはカラスが群がっている方向には行かないようにしよう。
「ありがとう、もう良いよ」とクレアさんが言うと、さんからハンカチを受け取りポケットにしまい、ベル兄の後ろを指差した。
「なぁ、兄貴。あれ、ついでだから俺が片付けておこうか?あ、それとも1人はチックに残しておく?」
あれとは勿論さんが倒した襲撃者達のことだ。キー兄が頷く。
「クレアー。少し離れた所でやれよ」
いくらマフィアの事務所とは言え、周辺に惨殺死体がいくつも見つかっては後々仕事に支障を来たす怖れもある。ベル兄の言葉に「わかってるよ」と言ったクレアさんは、「ラック、ちょっとの間、を頼むわ」と言った。了承すると、クレアさんは気絶した状態の男2人を両脇に抱えると、走り去る。「いってらっしゃい」とさんが手を振り、ベル兄が残った1人を担ぐと、先頭を歩いた。その後にキー兄が続き、さんを伴って私も事務所へと向かった。
クレアさんが一仕事終えて着替えをして戻るまでの間、さんとお茶を飲みながら話してみたけれど、さんは真っ当な常識を持つ女性だった。ただ常人よりも寛容過ぎる所があるようだ。だからこそ、ありのままのクレアさんを受け入れる事が出来るのだろうけれど。非常にマフィア向きな女性である。うちに入って貰いたいものだと思っていれば、ベル兄が同じ事を言い、それにキー兄も頷いていた。
本当に今度勧誘してみようか。
クレアさんが居ない時にでも一度話してみようかと思った。