【開幕】
はまだ食堂車に居た。部屋が賊に入られた事など気付かず、アイザック達との会話を楽しんでいたのである。宴の輪にチェス、メリー、ベリアム夫人が加わり、バーカウンターは賑やかさを増していた。
「そうそう悪い事をしたんだったら、もう『レイルトレーサー』に食べられちゃってるぞ!」
「ぱっくりとね!」
聞き慣れない単語が気になったは、詳しい話を尋ねると2つ隣の席のジャグジーがビクリと肩を震わせた。どうやらジャグジーの本能が『苦手な話』だと察知したらしい。アイザックの話が進むにつれて、はそれがどの街にも1つくらいある都市伝説のような話だと思ったのだが、ジャグジーはそうもいかなかったらしい。すっかりと怯えた表情に変わり、慌てた口調でどうしたら良いのかと聞いていた。アイザックは自信たっぷりに物語の最後を語り出す。
「レイルトレーサーが来ないようにするにはたった1つあるのさ!」
その言葉にジャグジーは希望の光を見つけたのだが、すぐに崖下に突き落とされる事になった。
「助かる方法は・・・・」
口篭るアイザックは隣に座るミリアに尋ねるが、どうやらミリアもあれだけの掛け合いをしていながら、聞くのはこれが初めてだったらしい。息が合っているのか、適当なのか。は判断がつかないまま、横を見るとジャグジーは本格的に震えていた。
歯の根が合っていない。ガチガチと極寒の地に放り出された風体だった。そんなジャグジーに助け舟を出したのはバーテンだった。ヨウン、とジャグジーは言った。知り合いだろうか?
が2人の親しげなやり取りを見ていると、ヨウンは若い車掌が知っていると言った。それを聞いた途端、ジャグジーは弾かれたように席を立つと、聞いて来ると言って走り出した。すぐにニースがジャグジーのフォロをして、後を追う。
ベリアム夫人が微笑して、ジャグジーを優しい人だと評した。アイザックやミリアも同意する。それを見たも席を立った。
「私もちょっと怖いので車掌さんに聞いて来ますね」
にっこりと笑っても2人の後を追う。怖いと言うのは嘘で、それは皆気付いているのだろう。いってらっしゃいと言うベリアム夫人に見送られ、は車掌室に向かった。
【2組目】
クレアはこの時には血で塗れていた。名前も知らぬ偽車掌の男の血を大量に浴びたからである。報復を果たしたクレアは列車の側面を器用に移動し、白服と黒服、乗客の敵を狩ろうと動き始めていた。
最後尾の車掌室から最前列の一等客室まで一度移動する。移動の際にどこに誰が居るのか、今どの状態なのかを把握していたのだが、最後の一等客室でクレアはまた妙な光景を目撃する事になった。
の部屋を何の気無しに窓から覗いたのだが、また居たのである。侵入者が。
(とことんあの女は妙な者に好かれているらしいな)
先程の侵入者はスーツ姿の男、今は気絶させて列車の底面に縛り付けてあるが、今度の侵入者も同じような格好の男2人組だった。先程の男をビジネスマン風と称するなら、こちらはマフィア風と言える。血と喧騒と暴力の空気が感じ取れた。
男2人は乱雑にの部屋を荒らしていた。敷物を剥ぎ、壁に飾られた絵を裏返して床に放り投げ、花瓶の花を抜き、中を確認する。捨てられた花が床に散らばり、それは部屋を移動する男達に何度も踏まれ、痛々しいまでの姿を晒していた。
(何を探しているんだ?)
列車荒らしの類ではなかった。連中ならば絵を盗み、花瓶を盗み、敷物すら盗む。一等客室と言うだけあって、置いている物はそれなりに価値があるのだから。
「兄貴、見つかりませんぜ」
「畜生、やっぱりあの女が持ち歩いてるのか!」
「なら早くあの女を攫いましょうぜ」
「馬鹿、列車は駅までノンストップなんだぞ。今動いて騒ぎになったら不味いだろう」
「だけどこの部屋見たら気付かれますぜ」
「駅について逃げた後を追えば良いだろう。要はガンドールの鍵さえ手に入れば良いんだからな」
兄貴分の男の言葉に、クレアは息を飲んだ。
(あの女、鍵を持っているのか?!)
少し前にガンドールファミリーの1人がシカゴで殺された。その男は出納係でガンドールファミリーの金庫番だった。ガンドールファミリーには今妙な噂があった。殺しても死なない。その不老不死の秘密は金庫の中に収められている。そんな鼻で笑い飛ばす類の話が蔓延していたのだが、現在抗争中のルノラータファミリーのメンバーがガンドールの次男にシリンダーに込めた銃弾をありったけぶちこんだのに関わらず、何とも無かったと証言した事が火付けとなり、ルノラータは真っ先に出納係の男を殺したのだった。
殺す所までは上手く行った。しかし、鍵は何者かによって持ち去られたのだった。ルノラータでもガンドールでも無い、第三者に。
(あの女を捜さないとな。・・・だがその前に)
クレアは車体の外にある電灯のスイッチをオフにすると、何事かと悲鳴を上げる乗客の声に紛れての部屋の窓を突き破り、男2人を両脇に捕まえた。この2人がルノラータファミリーの構成員である以上、クレアにとっては乗客である前に家族の敵だった。
両の腕に力を込めると、バキリと何かが折れる音が2つ。口から色んな液体を垂らす男達の目は白く濁っていた。クレアは少し重くなった体を軽々と引き摺ると、そのまま窓から、まず1体。そしてもう1体と投げると、窓から外に消えて行った。
程無くして一等客室に灯りが戻る。嵐が来たように乱雑にされたの部屋にも灯りが戻り、踏み躙られた花の上にガラスの破片がキラキラと光っていた。
【怪物かそれとも人か】
その現場にが着いた時には、ジャグジー達以外に見知らぬ大男が居た。
「ジャグジーさん、ニースさん!」
「さん?!」
後ろから走って来るを見て、ジャグジーは慌てて涙を袖で拭った。
「どうして、ここに?」
「ごめんなさい。私もその車掌さんにお話を聞こうと思ったんだけど」
が車掌室のドアに近付くが、ジャグジーが手で制した。
「見ちゃ駄目ですよ!」
「え?」
後ろに押されたは何故と問うと、ジャグジーをフォロするようにニースが車掌室の現状を教えた。はその言葉に思わず顔を引き攣らせる。
「レイルトレーサーが来ちゃったんだ!」
説得力に欠ける言葉に納得行かず、は車掌室の中を覗いた。
「これは・・・」
予想以上に凄惨な光景だった。
真っ先に目についたのは、血だらけの男の死体だった。顔面が何かで削がれたように削られていて、着ている車掌服や赤い髪と言う目立った特徴が無ければ、どこの誰か判別がつかない有様だった。はハイヒールが汚れるのも厭わず、部屋の中に入る。
後ろで制止の声が掛かったが、大丈夫と答えて奥に進んだ。
電気のスイッチを付ける。薄暗かった空間が蛍光灯の灯りに照らされ、不気味さが無くなった分、生々しさが増す。は室内をくるりと見渡すと、奥にもう1つ遺体を見つけた。眉間に一発銃痕。即死だっただろう。目を瞑り黙祷を捧げると、再度、損傷の激しい遺体と向き合った。
顔の大半が削られていた。まるで何かに食われてしまったような断面だった。抉れた肉の奥に見える骨もいくつか折れていた。
異なる遺体。
1人は人の武器である銃によって、もう1人はまるで怪物に食われた跡を残して。出発してから短時間の間に、本当に人と怪物がここを訪れたのだろうか。
レイルトレーサー。それは怪物。
拳銃。それは人の武器。
怪物を呼び出したのは、銃を撃った男なのか?それとも。
(同一人物の手によって行われた殺人?)
レイルトレーサーの存在を信じないは、その可能性すら考慮に入れていた。
殺し方は人離れ過ぎていた。怪物と言っても差支えが無い。むしろそちらの方が説得力があった。だが、2人の車掌がほぼ同時刻同じ場所で、人間と怪物に襲われて死ぬ。そんな事がありうるのだろうか?
人間と怪物が手を組んでいた場合、ありえない事でもないが、それよりも同一人物の手によって殺されたと考えた方が現実的だ。
力を持った人間に。
真っ当な常識人ならば到達しない結論だ。しかし、は偶然にもこんな芸当が出来る人間を少なくても1人知っていたのだ。
(もし、犯人が同一人物なら、厄介なのが乗り合わせているわね)
ニースの呼ぶ声に応じると、は立ち上がり、灯りを消して車掌室を後にした。最後までその背を睨む視線に気付く事は無く、再び暗闇に包まれた車掌室の窓で赤い目が光った。