【青に憧れた】

物心が付いた時には既にそこに居た。白一面の世界。壁も天井もカーテンも、そこに居る人間の服も顔色も。唯一の色は自分が着ていた服のベージュだけ・・・だったかもしれない。あまり覚えていない。あまりその辺は思い出したくない。


しばらくして、自分には親と言うものが居ないと言う事に気付いた。そして、自分が白い服を着た人間とは違う事に気付いた。毎日のように与えられる投薬、そして注射。刺される針の痛みは慣れる事の無いまま、続いた。


自分が『実験体』だと言う事に気付いたのは、それから数年後。注射ばかりされ、腕の皮膚が硬くなって来たと感じるようになった頃だった。


白い服がベージュの服の人間を調べている事にも気付いた。その当時、何歳だったかわからない。ここでは年などあまり意味を持たない。だって、ここでは『死』はあまりに身近過ぎた。


不幸にも『力』があった為に、ここに連れて来られたらしい。そう語るのは先日からここにやって来た、10歳になったばかりだと言う少年。だから私も多分『同じ』なんだと思った。その少年も、入って1年で居なくなった。居なくなったと言う事は、多分『死んだ』と言う事。


幸運にも自分には『力』があった。だから恐れられたが、白い服の人達は自分を大事にした。大事と言うのは、滅多に無いと言う事。死なれるともう実験出来ないから。そう言ったのは、今年で15歳になると言う少女。勝気な性格の彼女は、自分が大事にされる事が気に食わなかったようだ。だから彼女は自分に言った。


『ばけもの』と。


そんな彼女もその3ヶ月後に姿を見せなくなった。勝気な性格は、こんな場所に入れられた事に対する恐怖を隠す為の物だったのかもしれない。今思い返すと、そう思う。


時間の流れがまったくわからない場所で確実に年を重ねるごとに、自分の『力』は確実にその能力を増して行った。ある日、自分が他の子と同じ事をしたいと言ったら、駄目だと言われた。何故、駄目なんだろうと思った。聞いてみたが、あれこれと理由を付けられて駄目だと何度も言われた。その言葉が嘘だと言うのは何となく察しが付いた。


どうしてなんだろう。教えてくれない。本当の事を話してくれない。本当の事が知りたい。


ずっとそう考えていたせいか、気付けば自分にもう1つの『力』が宿っていた。通り掛った研究員に試してみれば、偶然やって来た『主任』と呼ばれる、白い人達の中でも偉い人から色んな声が聞えた。


あの子には『知識』は必要ない。あの子には『力』がある。あの子はここの暮らしが長いから、私達には従順だ。あの子が『外』に興味を持ったら大変。


最初は囁き程度だった。自分が使える『力』の中で、この『力』が1番集中力を要したが、囁きははっきりとした言葉で聞えるようにまでになった。白い人達、研究員達の声を聞くようになってから、急に色んな物に不安を覚えた。外は怖い所、ここにいれば安全と言うけれど、研究員の大半は毎日安全なここを出て、危険な外に帰って行く。言葉と行動が矛盾している。行動が正しいのならば、その言葉の方が間違っていると確信した時、初めてここを出ようかと考えた。


その為には色んな準備が必要だった。1番重要なのは知識だ。研究員達から知識を掠め取る中で、外に出ると言う事が衣食住を全て自分で賄わなければならないと言う事を知った。どうすれば金を稼げるのか、食べ物を買えるのか、住む所を確保出来るのかを真っ先に学び、次に社会常識や一般常識について学び始めた。


準備を始めて2年後。学ぶ事が殆どなくなった頃、唯一自分よりも長くここにいた『実験体』がいなくなった。R-04。そう呼ばれていた老人は、自分にとっては親代わりの人だった。彼の『力』の精度は高くなかったが、とても貴重な『力』だった為、大事にされていた1人だった。


未来予知。それが彼の『力』だった。


国からも重要視されていたその『力』を守るべく、彼に多くの医師が付いたが、彼は病によって帰らぬ人になった。今まではいなくなったと思っていたけれど、他人から知識を得る事で私は『死』を知り、『悲しみ』を知った。私の『力』の発現は感情とともに比例するらしく、悲しみに暮れた今の状態では絶好調の時の5分の1も発揮出来ず、初めての私の『力』の衰えに研究員達は慌てふためいた。私の『力』がこのまま衰退して行くのではないかと危惧したのか、いつもの倍以上私に研究員達はついた。あの優しかった老人が死のうと死ぬまいと私の日常を変えてくれる気は無いらしく、研究員達は変わらず私にもう10年以上続けている日課を課し続けた。


やる気が起こらず、体を引き摺るように歩けば、急ぎ足の研究員と廊下でぶつかった。研究員は「すまない」と私ではなく、私の横にいる別の研究員に謝って走り去って行った。ここでは私達はモノ扱いなのだ。


「さあ、行きましょうか」


そう横で促す声が聞えなかった。頭の中で繰り返されるのは、先程ぶつかった研究員が残して行った声。


R-04の脳の摘出、及び保存と維持。そして脳だけの状態での『力』の行使の研究。


ドクン、と心臓の音が聞えた気がした。


そこから先はよく覚えていない。


衝動に身を任せた私は、気付けば大きな瓶詰めの皺の刻まれた物体を奪ってここを脱出していた。追っ手は放たれたけれど、すぐに撒けた。私を追える程の『力』の持ち主は居ないし、『力』が無い者には私を捕まえられる筈が無かった。


いつかまた海が見たい。そう語った老人の脳を海が見える丘に埋葬した。初めて見る海、空。今は研究員の私服を着ているけれど、お金を得たらこの美しい青の色を身に纏おうと思った。


研究員の中にギャンブル好きがいたので、そちらの情報も得ていたので、『力』でコインを増やした私は当面の生活費を得て、生まれて初めてホテルと言うものに泊まる事にした。生まれてからずっと居た施設に比べると、随分と不衛生な場所ではあったが、温かみのある場所だった。使い古されたホテル台帳を差し出され、名前を書くようにと言われた。


そこで私は初めて自分に名前が無い事を知る。施設の中で付けられた名前はW−01。流石にそう書く訳にも行かない私は、台帳に手をかざし、『力』―――サイコメトリーで名前を情報として頭の中に取り込み、その中から1つ、気に入った名前と苗字をそれぞれ選んで繋ぎ合わせた。


そうして私はこの日から『W-01』から『』になったのであった。





【もしも叶うならば】

長い髪を揺らして、は列車の屋根に着地した。すぐにヒールの爪先で屋根を蹴り、後ろへと下がる。迫って来た赤い両腕を避けたものの、同じように男も屋根を蹴り、再びを捕らえようと腕を伸ばして来たので、上へ高く飛んだ。サイコキネシスの力で自分の体を浮かせただけだが、その高さは優に10メートル以上。常人はおろか化物でもここまでは届かない。未だ嘗て無い程、力を使わされて、息切れを繰り返す。少しずつ呼吸を落ち着かせながら、真下を見る。眼下には赤い化物。予想以上のその力に、ギリリと歯軋りをした。


(彼は一体何なの?!)


列車の屋根の上と言う限定された空間は、では無く赤い男の味方になった。サイコキネシスによる衝撃波を使おうにも、列車に当たれば列車が大破してしまう。従って、自然と使える場面は限られ、即座にその事に気が付いた男は、使えないように列車を背に動き始めた。


恐ろしいくらい戦い慣れている。も訓練の他、模擬戦闘をやらされてはいたが、相手の積んだ実戦の方が遥かに上だった。僅かな時間の間に弱点を知られた上、それを突いて来られては勝ち目が見えない。


(予定が狂うけれど、あれを奪われるよりはマシだ)


一旦、引く事を決めれば、後はどう逃げるか考えるだけだった。鍵に固執している以上、ただ列車から降りてもあの男は追って来るだろう。そうなると・・・。


そこで1度、は思考を止める事となった。




絶対に手の出せないと思っていた高度に立つの体が、ぐらりと揺れたのである。


「なっ!!」


人生で初めては驚愕する事になった。10メートルと言う高さを物ともせず、どうやったのかは不明だが、男はの足首を掴むと、そのまま重力に従って落ちて行った。引き摺られても一緒に落ちて行く。


急いで『力』を使おうとするが、落下の勢いで力が定まらない。落ちる間にも男はを自分の方に引き寄せ、足と背中に腕を回すと、そのまま列車の屋根に着地した。


「やっと捕まえた」


そう言ったクレアは足を痛めた素振りも見せずに、カツカツと屋根の上を歩く。嗤うその目を見て、は生まれて初めて『恐怖』を覚えた。


カタカタと体が震える。初めての事に、それが恐怖から来るのだと知らないは両腕で体を押さえるものの、震えは一向に収まらなかった。


今まで誰にも負けた事は無かった。が持つ『力』、サイコキネシスは、施設に連れて来られた者の中では大して珍しい力では無い。ただ、の場合、『力』が途方も無く大きかった。だから重宝すると同時に恐れたのだ。研究員も、と同じ実験体達も。それだけの力は強く、施設を抜け出して以降、追っ手や女の一人旅故に度々襲われたりはしたが、全て返り討ちにする事が出来たのだ。


それなのに、この男は見えないはずのサイコキネシスの衝撃波を避け続けた上、あっさりと弱点まで看破した。呆然とする中で、困惑をそのまま口にする。


「貴方、本当に人間・・・?」


その言葉に男は「ああ、そうだ」と短く答えた。レイルトレーサーだと名乗った者の正体が、車掌であり人間である事はも理解している。だが、生まれて初めての完敗に聞かずにはいられなかったのだ。化物と見なされ、時に詰られたにはそれだけの訳があった。


男の言葉に「そっか」とは苦笑を漏らした。呟いた言葉は先程までの張り詰めた空気とは真逆の、どこか幼さすら感じさせるもので、腕に抱える体から緊張の糸が抜けた事に気付いた男が眉を顰めたのが見えた。


「私、もっと早く、もっと別の形で貴方に会いたかったよ」


思いもよらぬその言葉に、男は理解出来ないと言わんばかりに更に眉を顰めるが、気にせずには空に浮かんだ淡い光を放つ月を仰いだ。