【解ける】

怒ったかと思えば、怯えたり、微笑んだりと忙しい。あからさまな拘束はしないものの、半ば閉じ込めるように回した腕の中で微笑を浮かべながら月を眺める女を見て、クレアはそう思った。


今まで殺し屋として老若男女、色んな人間をクレアはその手に掛けて来た。脂ぎった中年も居れば、深い皺を顔に刻んだ上品な老婆も居た。痩身で頬がこけた青年も居れば、金回りの良い肉付きの良い女も居た。銃の扱いに慣れた者も居た。ナイフを得意とする者も居たし、毒殺を得意とする者も居た。自分と同じ匂いがする者、そうで無い者、色んな人間を相手にして来たが、その誰よりも女は強かった。


走る列車の上と言う場所は、クレアに味方してくれた。きっと場所次第では女の方が強かっただろうと、クレアは思った。


「なぁ」
「はい」
「なんで、ガンドールの鍵、持ってるんだ?」


鍵を奪うのは簡単だ。どんなに惨い拷問だろうと、クレアは気に眉一つ動かさずにやってのける。だが、それは気に入らない相手に限られる。気に入った相手に対しては寛容な所を見せる時もしばしばある。捕まえた女の穏やかな表情は今まで見たどの顔よりも美しかった。出会ったばかりで、先程まで激しく戦った間柄ではあるが、このまま殺して鍵を奪う事に躊躇いを覚える程度には、気に入ってしまったのである。


例え、ガンドールの鍵と言う、大事な兄弟達の大切な物を握っている相手でも。


少し間を置いた後、女はガンドールファミリーの金庫番の人から預りましたと答えた。女の目には動揺や焦りの色は無く、まっすぐにクレアの顔を見据える姿には嘘偽りは感じられなかった。それでも疑問を抱いたのは、クレアが『プロの殺し屋』だからだろう。


「どうして答える気になったんだ?」
「貴方、ガンドールファミリーの3兄弟と『本当に』知り合いみたいだから」
「さっき言った時には信じなかったのに、どうして急に信じる気になった?」
「・・・・・・・・・触れればわかるから」


そう言って女は自分の手のひらを眺め、ポツリと呟いた。


「私は自分が触れた人間の持つ記憶を視る事が出来るから」


少しだけ寂しそうな表情を浮かべ、女は先程よりも小さな声で私は化物だからと言った。


ヒュウゥゥゥと風が寂しげに鳴いた。





【ありがとう】

列車の汽笛の音が聞えた。


ハッとした顔付きに変わったクレアは辺りの風景を見て、「やばい!」と叫ぶと、女を抱えたまま屋根の上を列車とは逆走する形で駆けた。最後尾まで走り、屋根に手を少しだけ掛けて、デッキに着地する。常人には殆ど先の見えない暗闇も、クレアにははっきりと物の位置が見えるので、手馴れた手付きでボタンを数個押した。


列車の脇に付けられたランプが数回点滅を繰り返す。先頭車両への定期連絡。これを怠ると電車は停まり、ニューヨーク到着が大分遅くなる。3兄弟との約束があるので、それだけは何とか避けたかった。


「これで良し」と言うクレアに、女が「良く見えますね」と感心する。


「訓練したからな」
「訓練だけでこんなに?」
「まぁ、元々良かったのもあるけどな」
「じゃあ、それに磨きを掛けたんですね」


特に深い意味もなく、何の気無しに女はそう呟いた。


女は知らない。『努力の結晶』を『才能』の言葉1つで片付けられて来たクレアが、その言葉を誰よりも欲している事を。


「お前の力も同じじゃないのか?」
「同じに見えます?」
「ああ、元々持ってた能力を更に磨き上げたって感じがした。戦っていて使い慣れているように見えたからな」
「確かに使い慣れてはいますね。散々やらされましたから」


そう呟く女の顔に少し陰りが見えた。どうも余り良い記憶では無さそうだと、クレアは話題を変えようと考える。そんな自分に気付き、クレアは苦笑した。気に入るどころか細々としたところにまで気を使っているクレアは、気に入るの範疇を越えていた。


「俺はこの列車を守る化物だけど、人間だ。努力した、な」


その言葉にコクリと女は頷き、上機嫌のままクレアは続けた。


「お前は自分を化物と言うけれど、お前は人間である俺に負けた。だから―――」


クレアは女の顎を自分の方に引いて、その目を見た。驚いたように丸くする目に、自分の暗く嗤った顔が映る。


「化物を名乗る資格は無い。名乗りたければ俺を倒してからにするんだな」


そう言ってニヤリと笑えば、見開いた女の目からポロポロと光るものが溢れた。


女が強大な『力』に酔いしれるタイプでは無く、人と異質である事に酷くコンプレックスを抱いている事はクレアの目から見ても明らかだった。女はクレアの欲しい言葉をくれた。だからお返しにクレアも女に欲しがっている言葉を与えようと思った。人間である自分の方が化物じみていると、嗤い顔も見せれば効果はあるだろうと思ってはいたが、まさかここまで効果があるとは。クレアは不本意に泣かせた事に失敗したと思うよりも先に、頬を伝って出来た涙の筋を指でぬぐった。


「私の力を見て感じた貴方が、私を人間だと言うのですか?」


女は人間である事をそこまで渇望していたのかとクレアは知ると、その事に内心少しだけ笑った。これだけ強い力を、それこそ世界の中心である自分に匹敵する力を持ちながら、望んだのは化物ではなく人間としての枠に収まりたいと言う事。世界の中心に立とうとせず、中心の周囲を形成する人々の群れに望んで入って行きたい。その願いはクレアから見れば自分とは対極にあり、到底理解出来ないものだった。


「ああ」


それでも女が望むならば、与えようとクレアは思う。たった一言与えれば、女は涙を流しながら、ありがとうと言った。


「ずっと、ずっと、探して居たんです。私より強い人間を。その人を見つける事が出来たなら、私は化物じゃなくて人間だと思ったから、だから・・・」


そこから先ははっきりと聞えなかった。涙声は次第に酷く歪み、嗚咽を繰り返す女の髪をゆっくり撫でた。言葉数が少な目な幼馴染がまだ幼い頃、自分を褒めてくれた時によくやってくれた動作だった。


人間の枠に収まりたいなんて何て小さな望みなのだろう。そうクレアは内心笑ったが、女の言葉を聞いてすぐに己の誤りを認める事になった。自分と同じくらい強い女が『力』において対等な人間を探すと言う行為は、砂漠に1粒落とした砂金粒を探すような物だった。世界の中心である自分以外に、この女に敵う人間はどこにもいないだろう。自分と出会う事が出来たのはまさに奇跡。人間が数多蠢く世界でたった1人の強者、それは自分を置いて他に無い。


「もう泣くな」


クレアの言葉に、女が何度も頷く。しかし、一向に収まる気配を見せず、クレアは撫でる手を止めずに言葉を掛け続けた。


「お前が人間でありたいと思うなら、俺の傍にいろ。俺がお前より強い限り、お前は人間だ」


まぁ、負けないけどなと勝気な言葉を加えれば、指先で瞼をこすった女は、はいと未だ涙声のままで答えた。