【宝物】

。クレアが数日前に手に掛けた殺し屋と同じ名前を持つ女は、同姓同名なだけの無関係な人間だった。と名前を呼べば、はい、と嬉しそうに答える姿は100パーセント好意から来ているもので、クレアも目を細めて笑った。


それは先程まで人間離れした戦いを繰り広げた者同士とは思えない光景だった。


その雰囲気を2発の銃声が容赦なく切り裂いた。


最初に1発。少し間があって、もう1発。


この時間ともしばしの間お別れだとクレアは内心舌を打つ。も緊迫した状況に慌ててクレアの腕から降りようとした。クレアが解放すると、はヒールの爪先から床に着地を試みたのだが、床に触れた瞬間、ふらりと糸が切れた人形のようにその体は下へと落ちた。即座にクレアが動き、床に落ちる事無く、腕の中に閉じ込めた。すみませんと繰り返すの目は、明らかに焦点が合ってなかった。


急激に体調不良を起こしたその姿に大丈夫か?と問えば、力の使い過ぎですから少し休めば大丈夫ですと返って来た。風邪をひいたような倦怠感を漂わせる姿を見て、クレアは部屋を見回した後、大きな収納扉に目を付けた。抱き抱えたまま、扉を開ける。車掌の荷物を入れる為に設けられたそのスペースは殆ど使われずに、がらんと空いたままだった。そこにの体を横たえた。


「今の私では足手まといですので、ここで大人しくしています」


この先のクレアの行動を見透かした言葉を告げると、は大人しくそこに入った。


「行って来る」
「はい。行ってらっしゃい」


頬にキスを落とせば、体調の悪化に伴って白皙の顔は更に白さを増していたが、そこにぱぁっと朱色が混じった。恥ずかしそうに上目遣いで見るに手を振って、クレアは静かに扉を閉めた。無残な死体が2つも転がる車掌室を物色する馬鹿もいないだろう。そう踏んでは居たが、万が一の事を考えると不安は残った。はクレアにとって、最早無くす事が出来ない宝物である。近くにあった額に穴が開いた年老いた車掌だったモノを、通路を塞ぐような形で転がした。入り口付近にはあの偽車掌の惨たらしい死体と、おびただしい血溜まりがあったので、これでまず入って来る者は居ないだろう。両方の瞼の血を拭って気合を入れ直すと、クレアはまた車掌室のデッキから外へ出て行った。居なくなった気配を感じ取ったは、そこでようやく気を抜いた。そして、ゆっくりと疲労から来る深い眠りに、彼女は落ちて行ったのであった。





【深い眠り】

列車の底面で作業着の無賃電車の女を見つけたり、外見とは裏腹に老成した中身を持つ子供を捕まえたり、屋根の上でハイテンションな白服の男と無口な黒いドレス女の戦いに介入したりと、レイルトレーサーとして退屈しない時間をクレアは過ごしていた。


作業着の女も黒いドレスの女も共に美人で、もしよりも先に会っていれば、間違いなく口説いただろうと、クレアはいつもの己の行動からそう思った。


といい、こいつらといい、妙に腕利きばかり乗り合わせたな)


凄い偶然だと感心しながら、クレアは電車の最後尾の車掌室へと再び戻って来た。


ひらりとデッキに舞い降りる。中に入ると室内を見回し、自分以外の誰も足を踏み入れた形跡の無い事に少しだけ安堵すると、収納扉をゆっくりと開けた。


中の側面の壁に寄り掛かり、は眠っていた。最後に出会った顔に刺青を持つ男の爆弾の破裂音すら、深い眠りにつく彼女を起こす事は出来なかったようである。持ち上げて見てもそれは変わらず、規則的に繰り返される小さな寝息にクレアは少しだけ顔を綻ばせ胸元に引き寄せると、デッキの柵に足を掛けた。


車掌室に最後に一瞥送ると、ポケットから取り出した拳ほどの大きさの黒い塊の先端を口で引っ張ると、塊を車掌室に放り投げ、それとほぼ同時に柵を蹴った。オレンジ色の閃光とけたたましい爆音が辺りを埋め尽くす。流石に耳が遠い機関車室の運転手達もこれには気が付いたようで、少しずつ列車はスピードを落として行った。


パラパラと爆破された車両の細かな破片がレールの上にパラパラと落ちて行く。それはクレアの頭にも降り掛かり、手で乱雑に払った後、爆音でも目覚めなかったの頬や瞼に降り掛かった破片を細心の注意を払って取り払った。


脱輪しないよう、ゆるやかに速度を落としながらも徐々に小さくなって行く列車をクレアは見送ると、その場を後にしたのだった。


仕事柄、クレアはアメリカ全土にいくつも隠れ家を所有している。その1つ、ニューヨークの貧困街の中では比較的綺麗だとされるアパートに、クレアはを連れて久しぶりに入った。触れ回った訳では無いが、ここの住人が貧困街でもとりわけ危険な人間の隠れ家という事が有名であったお陰か、中は部屋荒らしの憂き目にも合わずに綺麗なままだった。


ベットにを下ろして、窓を開ける。力を使い過ぎたと言っていたが、回復するまでこのまま眠り続けるのだろうか。あまりに長い時間、1度も目を覚まさずに寝ているので、少し心配になり、脈拍と呼吸を確認すると、規則的にどちらも繰り返されていた。


その事を確認すると、クレアはシャワールームに消えていった。ふわりと開けっ放しになった窓から入った風が、日で色褪せたカーテンをゆらゆらと揺らした。





【約束】


緩やかに浮上して行く意識の中、心地良い揺れを感じた。


(揺り篭みたい・・・)


気が付いた時には施設に居たので、揺り篭に揺られて育てられた経験があったのか覚えては居ないが、その心地良さに自然とその言葉が頭に浮かんだ。


(もう少しだけ・・・)


無駄に惰眠を貪る性分では無いが、今はこの心地良さを感じて居たかった。


車のブレーキ音で一気に意識がえ渡った。突然の事に驚き、跳ね上がるように身を起こせば、同じように驚いた表情の男の顔が間近にあった。


「え?あれ?」


まるで今までの事が夢だったかのような光景だった。人が無数に行き交う交差点。整備された道路、真新しい信号機が、ここが大都会だと言う事を教えてくれた。


「おはよう」


驚きから笑顔に変えた男が目覚めの言葉を挨拶にした。


「おはよう、ございます」


恐る恐るは挨拶すると、落ち着かない表情のまま、周囲を見渡した。建物や人がいつもより高く見える。ゆっくりと移り変わる光景に、ようやく自分が抱き抱えられたまま運ばれている事に気が付き、あたふたと慌てふためいた。


「こら、落ちるだろ」


慌てふためくの姿を可笑しそうに笑うと、男は抱え直し、青になった信号を渡った。自分を抱き抱える男の顔を見る。全身が真っ赤と印象が強過ぎて、外見の特徴を殆ど覚えていなかったが、その強い意志を称える目に見覚えがあった。とりあえず目の前の男に呼びかけてみようと口を開いたのだが、ふとある事に気付いて開いた口を閉じる事になった。しかし、このまま黙っていてもどうしようも無く、仕方なくアレを口にした。


「あの・・・・・・レイルトレーサーさん」
「クレア、な。クレア・スタンフィールド」


そう言えば名前教えていなかったな、と言う呟きが聞えた後、訂正するように男は自身の名を告げた。


「クレアさん」
「何だ?」
「あれからどうなったのでしょうか?」


クレアに収納スペースに入れられた後、意識が遠のいて行く所までは覚えているが、その先はずっと眠っていたようで何も覚えていなかった。見慣れない物で溢れ人が多い事から察するに、ここはおそらくニューヨークなのだろう。クレアの顔も髪も元の色に戻っていて、服装も一新されていたので、どうやらかなりの時間眠っていたらしい。


簡潔に纏めて話してくれた内容に、は目を白黒する事になった。どうやらあの列車の中にはかなりの腕利きが存在したらしい。テロリストに快楽殺人者、無賃乗車女に貨物泥棒。良くも奇妙な人間ばかり集まったものだと感心したが、自分もその1人だったと言う事を思い出し、敢えて口にしなかった。


「あ、クレアさん」
「何だ?」
「あの、もう大丈夫なので、自分の足で歩きますよ」


眠る前に感じた倦怠感はすっかり消えていた。もう歩けるとは主張してみたが、ニッと笑ったクレアに即座に却下された。


「どうせあともう少しで着くから、このまま運ばれておけ」
「そう言えばどこに向かっているんですか?」


目を覚ました時には周囲人だらけで、大都会の中の更に都心という印象を受けたが、先に進むにつれて徐々に人通りも侘しくなり、すれ違う人もかなり減っていた。


「俺の家族の所」
「クレアさんの家族の所ですか?」
「そう。ガンドールファミリーって言った方がわかりやすいか?」
「え?!」


前にサイコメトラーでクレアがガンドールの3兄弟と本当に知り合いだという事は知っていたが、まさかこんなに早く会えると思っていなかったは驚きのあまり声を上げ、しきりに服の上から胸元を触り始めた。手に硬い感触を感じ、ほっと息を吐く。


「鍵はちゃんと持っているな」
「ええ。今、確認しました」
「お前の手から渡してやれ。何で鍵を持っているのかわからないが、あいつらに鍵を渡す為にわざわざニューヨークまで来たんだろう?」


クレアの問いにありがとうと答えたは、緊張した面持ちで進む先を見続けた。少しして、の視界に黒尽くめのスーツ姿の3人組が映った。


「やっと約束が果たせる」


そんな呟きがクレアの耳に届いた。