【鍵】

久しぶりに会ったガンドールの3兄弟は、挨拶もそこそこにじっとクレアの方を凝視していた。正確に言えばクレアを見ているのではなく、3人の視線は抱き抱えたままのに集中していた。その事にも気付き、居心地が悪そうに少しだけ身じろいだ。


「クレアさん。この人は?」


このまま黙っていても話が進まないと思ったのだろう。兄弟の中では1番社交的なラックがクレアに尋ねると、クレアは面白そうに目を僅かに細めると、配達人と短く答えた。


「クレアさん、それではわかりませんよ」


ラックが大袈裟に肩を竦めて見せる。クレアとラックのやり取りを見ていたは、自分の首の裏に手を掛けると、紐のような物を引っ張った。


出て来たのは藍色の紐にぶら下がった木彫りの首飾りだった。手彫りのリーフの首飾りは、温かみの感じられる物ではあったが、ドレスアップしたの首を飾るには些か役不足に思えた。首飾りを外し、手に取ると、はリーフの中心に指を添えた。バチン弾けた音と共に、リーフの飾りは半分に割れた。


「それは・・・」


ラックが目を丸くする。割れたリーフの飾りの中から銅色の鈍い光を帯びた鍵が現れた。


「ジャンさんから預って来ました。ガンドールファミリーの3兄弟に渡すように言われて・・・」


が差し出した鍵を、無言のまま、長兄であるキースが受け取った。ガンドールファミリーの中で最古参であった金庫番、ジャン=ルークは3兄弟と10年来の付き合いであり、家族と呼んで差し支えの無い間柄だった。


受け取った鍵をキースが日にかざす。鈍い銅色の鍵の胴体は曇っていて、殆ど日の光を反射しなかったが、鍵の刻みの部分に何か見つけたらしく、元々険しい顔を更に顰めた。


「ジャンの死の間際に立ち会ったのか?」


険の篭った眼差しでキースはの方を向いた。元々迫力のある顔に加え、殺された事の怒りを殺しきれなかったのだろう。殺気までもに向けられ、突然の事にはビクリと体を震わせた。


「キース。俺の婚約者に殺気向けるなよ」


呆れた口調でクレアは呟くと、抱き抱えていた腕を少し強めた。


「こん」
「やく」
「しゃ・・?」


呆けた顔でベルガとラックに、当の婚約者本人とされたが揃って口を開いた。


「否定されたぞ」


先程まで纏っていた殺気はどこに行ったのか。すっかり霧散させてキースも周りと同じく呆れた表情だった。


「クレア」
「クレアさん」
「何かの間違いじゃないのか?」
「どう騙してここまで連れて来たんですか?」


じぃーっと不信感に満ちた二対の目が2人分、クレアに突き刺さった。クレアはに助け舟を求めるものの、当の本人自体、きょとんとした表情なので状況を理解していないのは目に見えており、仕方なくクレアは出会いから今に至るまで語る事になった。


金庫番の名前はオリジナルです。





【回想】

マルベリー通りを抜けて少し行った所にあるジャズホール。夜ともなれば賑やかだが、日が高い時間という事もあって今は眠ったように静かだった。


キースが無言で地下の事務所内を通り過ぎ、奥の執務室に入った。慣れた様子でクレアも中に入ると、ソファーにを下ろした。恐縮しながら礼を言うを愛しそうに目に映し、頭を数回撫でるクレアの姿を微笑ましげに見つめるラック。最後尾のベルガがドアを閉めると、くぐもった男のものと思われる叫び声が廊下を通り過ぎた。びくり、とが身を震わせる。困り顔から一転、目を細めて周囲を警戒し始める。その切り替えの早さや表情は間違いなく自分達と同じ側の人間のもので、垣間見たラックは複雑そうな表情を帽子の鍔で隠すと、部屋を出て行った。


「大丈夫。あれはチックがやってるだけだから」


愛でていた手を落ち着かせるために動かしながら、クレアが説明する。警戒を徐々に緩めながらもそれでも解かないは、出て来た人名を聞き返す。それにクレアは答えると、ようやく得心出来たのか、は警戒を解いた。和らいだ表情にクレアは嬉しそうに笑った。


「あー、こんにちわー」


間延びした声には顔を上げた。戻って来たラックの後ろからニコニコと笑顔を浮かべた男が入って来た。白いシャツに茶色のズボン、そして同色のサスペンダーに、手にした鋏、そして浮かべる笑顔。一見すると散髪屋の青年のようにも見えるが―――左右両方に1挺ずつ収まった鋏が常に動いている様子を見る限り、普通とは言い難いのかもしれないとは結論付けた。


「うちで働いているチック=ジェファーソンです」
「初めましてー」


先程の叫び声には触れないまま、自己紹介するとチックは夕食の支度をすると言ってすぐに出て行った。一緒に出て行ったラックがティーポットとカップを持って来る。ドアを閉めた後、ガチャリ、と鍵の掛かる音。視線をドアに向けたに対し、ラックが「私達以外聞かれたくないので」と理由を口にした。キースがクレアに視線を送る。クレアはそれに鷹揚に頷いて見せた後、ラックから紅茶を受け取ったに「鍵を受け取る前後の話教えてくれ」と頼んだ。悲しそうに目を伏せ、が軽く頷く。胸に残る苦味を消すように紅茶を一口飲んだ後、ゆっくりと事の始まりを口にした。


「あれは私がシカゴにいた時の事です」


施設を抜け出した後、は当てもなく各地を放浪していた。当初の目的をこなしたものの、新たな目的を見つけられず、一箇所に居てはすぐに追っ手がやって来るので、自然と各地を渡り歩くスタイルになっていた。そんな彼女がシカゴにやって来て1週間が経った日の事。


食事時、安くて美味いと評判の酒場に足を運ぶと、既に店内はほぼ満席状態だった。大半が男性客で、の姿を見た途端に囃し立て、席を勧めて来る。待ち人がいるからと誘いをかわすと、バーカウンターの隅に1つだけ空いていた席へと進んだ。


「隣、良い?」
「・・・どうぞ」


友好的に微笑めば逆にトラブルになるのは、過去に経験済みだった。が形式的に問えば、相手も面倒はごめんとばかりにそっけない返事が返って来た。からしても好都合な相手で、今日は運が良いと実感しながら椅子に腰を下ろした。


「ありがとう」


男同様にそっけなくも礼を言う。やって来たバーテンに軽食と飲み物を注文した後、手帳を取り出した。そろそろ次の街に移動しなければ。外見が目立つお陰で人の噂になりやすく、どう頑張っても同じ街に1週間滞在が限度だった。たまたま取ったホテルの老婦人の人柄に好感を抱き、ちょっとした手伝いをしていたのだが・・・・・・気が付けば1週間経っていた。許されるならばもう少し滞在したいところだが、情報を掴んだ追っ手があの老婦人を利用する可能性も否めない。迷惑を掛ける前に去ろうと決め、メモしたシカゴの交通情報をチェックする。これかこれか。2つまで絞ったところで不意に隣から声を掛けられた。


「あんた、何やったんだ?」


その言葉に背後に意識を集中させる。送られる視線の大半は無視して構わないものだったが、2つだけ無視できないものが混じっていた。途切れる事のない視線に覚えがあった。間違いなく追っ手の監視の目だろう。思った以上の早い到着に軽く苛立ちを覚えながらも、隣の男には当たり障りも無い返事をする。


「パパが連れ戻しに頼んだ男達よ」
「随分とそれは物騒な父親だな」
「大事な娘だからね」


意味有りげに言う男に対し、も意味有りげに笑って見せる。を監視する男達はどう見ても普通の男には見えないだろう。だが、それは隣の男にも言える話だ。顔こそ綺麗なものの、手には無数の傷があり、形状から見て刃物と言うのがすぐわかる。座る位置も店の最奥でありながら、店の厨房に続く通路のすぐ傍だ。厨房から外に出るドアの存在も把握しているのだろう。酒場で騒ぐ男達とは一線画した男だ。巨大マフィアのお膝元の街だ。おそらくはそちら側の人間だろう。何故、こんな安い酒場に居るのかは・・・・・・彼の背中に突き刺さる視線の主達が教えてくれた。


「貴方こそ、良いの?」


曖昧に問い返せば、男はニヤリと笑って見せた。年の程は30代半ばと言った感じで、ニヒルに笑う様が良く似合う男だった。元々はこういう表情の方が多いのだろう。


「俺のパパも煩いんだよ」


明らかに冗談だとわかる発言に思わず吹き出してしまった。隣で男が満足そうに笑う。


「大変ね、煩いパパを持つと」
「ああ、まったくだな。・・・ところでどうだい。これから一緒に飲まないか?」


店を1人で出れば人気の無いところですぐに襲われるだろう。だが、2人同時に、それこそ互いに別々の追っ手に追われる者同士が出れば、当然、追っ手も同時に出る訳で、上手く行けば追っ手同士、互いに潰し合ってくれる可能性もあるのだ。にこりと笑って了承の意を伝える。背中に感じる視線が少しぶれた。追っ手の困惑に気付いたは、出されたノンアルコールを入ったグラスを持ち上げた。カチンとグラス同士が鳴る。今まで相席になった人達と食事をした事はあったが、こういう1対1は初めてだ。利害が一致した者同士の一時的な共闘も悪くない。・・・最もこの男もこの男を付き狙う追っ手も、実はを狙う追っ手でしたと言う可能性もあったので、男が冗談を言った時に肩を叩いて記憶を覗いたが、施設との関係性は無かった。男の素性を確認し、内心溜息を吐く。一緒に読み取れた男の追っ手を巻く計画を頭の中でシミュレートしながら、男と当たり障りの無い会話を続けた。


ジャンとの出会い部分を語り終え、喉の渇きを感じたは紅茶で喉を潤した。完全に冷めてしまっているが、蜂蜜が入っているのか、喉がいつもよりも潤う。空になったカップにすぐに紅茶が注がれた。礼を言おうとポットの手の主を見るが、そこに居たのはラックではなくクレアで。一拍置いた後、ありがとうございます、とが言うと、膝に置かれたその両手をクレアは取った。



「あ、はい」
「今度、2人で飲みに行こう」
「あ、はい」


クレアの意図する所を掴めずに首を傾げるに対し、生前、ジャンとクレアが交流があった事を覚えているガンドールの3兄弟は、クレアが嫉妬している事に気付いて各々複雑な表情に変わった。もしジャンが生きていたなら呆れた顔で済んだだろうが、彼はもうこの世にはいない。その事実を受け入れたものの、痛みはまだ消えないのだ。痛まなくなっても、傷として心にずっと残ったままだろう。それを良しとしているからこそ、幼馴染達にマフィアに不向きだと思われているのだ。感情が1番浮かびやすいラックが表情を戻すと、に続きを求めた。再び語り始めたの手を握ったまま、クレアがラックに視線を送る。視線の意味に気付いたラックは、複雑そうに笑うと、大きく首を振った。




補足
クレアはジャンと時々飲みに行く仲でした。仕事でシカゴにいる際、ジャンが殺られた話を耳にして、3兄弟に確認する前に実行犯を捕まえて尋問しました。ジャンは死にましたが、クレアの思い出の中では生きているので、彼に対して嫉妬したり怒ったり笑ったりしています。クレアという人間を知っているので3兄弟は何も言いません。視線をクレアがラックに向けたのは、早く立ち直れと言った励ましに近いものだったのですが、クレアに嘘は吐かないと決めているラックは、簡単に出来ないという意味で首を振ってます。なお、キースもクレアに視線を送っていますが、万が一、盗み聞きしている奴がいたら教えろという意味でした。