【困った人】

普段ならば食事をとってすぐ出るところだが、一時的に共闘する事にしたは酒場で2時間過した後、男にエスコートされて店を後にした。肩を抱く男と共に進むのは酒場から一本西側の筋。東側ならの宿泊しているホテルのある通りだが、西側は街の夜の歓楽街―――闇酒場や闇賭博、娼館が並ぶ通りになっていた。来慣れているのか、迷う事無く男の足は目的地に向かっていた。


肌の露出の多い女性が道の端に何人も立つ。連れ立って歩く男は彼女達から見れば『良い男』なのか、それともを同業者と間違えているのか、向けられる視線はどちらかと言うと険しい類のものだ。その中で5人6人で固まっている女性達に男は近付く。女連れの男に眉を顰める彼女達に対し、男は笑みを浮かべると、片手で口元を隠してこう告げた。


「俺達の後ろに3、4人男達が付いて来る筈なんだ。俺の友達なんだが、彼女を口説き落とした事が気に入らないらしい。それで何だが・・・・・・少しばかりサービスやってくれないか?ああ、勿論、金はあいつらから貰って構わない。俺からの心遣いと言えば怒りそうだからな」


そう言って男は彼女達に幾許かのお金を握らせた。相場がわからないので高いのか安いのかわからないが、リーダー格らしい女が微笑むと、彼女達を連れて達がやって来た道をそのまま遡って行った。の肩を抱いたまま、男はにぃーっと笑みを深めると、少し先に行った建物の中にを誘った。


入ってすぐにそこが娼館だと気付いた。ロビーの至る所に椅子やソファーが配置され、着飾った女がアンニュイな表情を浮かべて座っている。女連れが珍しくないらしく、一度視線を向けられるものの、すぐに興味を無くしたのか逸らされた。その代わり、達の元に一際豪奢に着飾った女が近付いて来た。どうやら彼女がここの主人のようだ。年は男より1回りは上であろう。男とは顔馴染みのようで、挨拶をかわした後、女の手には金が渡され、心得ている女は男に鍵を渡した。


男に促され、螺旋階段を上って2階に上がる。真ん中の部屋の鍵を開けると枕元の明かりを点けた。柔らかい明かりが部屋を包む。男は1度窓際に立ち、カーテンを覗いた後、ほんの少しだけ開けた状態にした。そしてクローゼットの前に立つ。開ければハンガーが2本あるだけだった。男はその床の部分を何やらいじった後、鍵を取り出して何かを回した。カチリ、と開く音。クローゼットの床の一部がスライドし、ぽっかりと空洞が現れる。傍に寄れば壁に取り付けられた梯子が見えた。


「先に降りろ。俺はまた鍵を掛ける」


男の指示にに頷いて、先に梯子を降りた。降りた先は上とはまったく逆の間取りの部屋だった。クローゼットを元通りにし、男も降りて来る。先程と同じようにカーテンをほんの少し開けて覗く。来ていないなと男が呟く。どうやら追っ手はまだ来ていないらしい。


男の計画はこうだ。酒場を2人で出て追っ手を巻いたところで、車が無い以上、電車やバスが止まっているこの時間ではそう遠くには逃げられない。それならば人の集まる建物内へ逃げ込み、追っ手の監視の目を建物の出入り口に集めている間に別の脱出口から逃げ出すという計画だ。そこで選んだのがここだった。娼館は仕事柄、建物内の人間が眠りに付くのは朝方である。加えて、ここは男の顔見知りの女が経営する高級娼館だが、そのバックには全米に名を轟かすマフィアがついている。手を出せば最後、マフィアの報復が容易に想像出来る場所だ。部屋に踏み込んで来る可能性はかなり低く、気付かれずに抜け出せればかなりの時間が稼げる。・・・と男は踏んでいるようだ。は外見だけなら裕福な家庭のお嬢さんである。戦力として当てにされる筈もなく、普通のお嬢さん1人連れての逃走としては、短時間で考えたとは思えない出来栄えだった。・・・強いて言うならば娼館に連れ込んで欲しくなかったのだが、『力』を使う気が無いが我侭を言えるはずも無く、内心で溜息を吐くだけに留めた。


「私の追っ手も貴方の追っ手も2人ずつ。おそらく・・・表の玄関と裏の勝手口に1人ずつ付くでしょうね。付いたのを確認したらこっそり窓から逃げるのかしら?」
「話が早くて助かるよ。まー、あんたの追っ手は秘密警察って感じだが、俺の所はマフィアだからな。互いに協力し合う事もまず無いだろうし、素性も互いに知らない者同士だろう。付いた時に揉めてくれたら助かるんだがな」


そう男が口にすると、銃声が2発、ほぼ同時に鳴った。


「よりによってここかよ」


すぐ傍で聞こえた発砲音に男は顔を顰め、身を低くしてカーテンを覗いた。部屋の前で銃声ははっきりと聞こえた。おそらくは2組の追っ手はそれぞれこの娼館まで辿り着き、達の入った部屋を外から確認しようとしたところで互いに出くわしたのだろう。娼館中に悲鳴が響き、途端に騒がしくなる。マフィアのお膝元の歓楽街だ。銃声が鳴り響くのはそう珍しい事では無いのだろうが、如何せん、近過ぎたのだろう。


再び、発砲音が重なり合う。どうやら追っ手同士銃撃戦を始めたようだ。どうするか尋ねる前に腕を引かれた。どうやらここを出るらしい。頷くと脱出口となる筈だった窓に背を向け、男に続いてドアから廊下へ、ロビーから正面玄関へと出た。銃撃音に怯え、客の男達も続々と館を出て行く。ロビーに居た女主人に男が鍵を投げる。受け取った女は苦笑いを浮かべた後、男に向かって手を振った。どうやらかなり親しい間柄らしい。男に倣いも女に軽く頭を下げると、館を後にしたのだった。


客に紛れて館を出る。他の客同様、筋を通って歓楽街を抜け出す。客の大半の足はホテルの並ぶ東の筋に向かっていた。その流れに途中まで乗った後、細い路地に1度入り込む。


「街を抜けるまで一緒に来るか?」
「いえ、大丈夫です」
「・・・そうか」


男の前で迂闊に『力』を使う訳にはいかない。『力』を使えない以上、足手まといにしかならないと悟ったは、男の親切心から出た誘いを敢えて断った。


「ありがとうございます。お世話になりました」
「あんたも無事に逃げ切れよ」
「はい、貴方もどうかご無事で」


心配そうに見つめるものの、男も女連れの移動の難しさをわかっているのだろう。寂しそうに1度笑った後、短い別れの言葉を残して男は闇に消えた。


ジャンと別れたところでは語るのを止めた。喉に渇きを覚え、カップに手を伸ばそうとしたところで、握られたままの手にきゅっと力が込められた。握る隣に座る男に目をやると、赤い髪の男は大真面目で言った。


、今度、娼館に行こう!」
「・・・・・・・遠慮します」
「遠慮なんていらないだろ?俺との仲じゃないか!」


意気揚々と話すクレアに対し、呆れた様子のの声は脱力感に満ちていた。一向に諦めずに迫るクレアに困り果て、ガンドールの3兄弟に視線を送る。ベルガは呆れ果て、ラックは心底同情しているといった表情で、キースは・・・無表情なのでわからなかったが、きっと他の2人と同じ感想を抱いているのだろう。助けて助けてとが視線でSOSを送ると、溜息を吐いたラックが間に入って取り成してくれた。


「ジャンと一緒に行って、俺と行かないのはおかしいだろう?!」
「ジャンさんもさんもにげるための目くらましで入っただけですよ。そもそも、彼は愛妻家だったし、さんもそういった事には慎ましやかな人なのでしょう?」


ラックの言葉は外見から推察しただけではあったが、間違ってはいなかった。とはいえ、証明しようが無かったのでは黙っていたものの、後押しするようにクレアがいかに慎ましいかを語り始めた。


「そうなんだ、聞いてくれ!」


出会ったばかりなのに、何故こうも口が動くのか。は感心するしかなかった。語られる事は全て本当の事なのだが、クレアが知る筈も無い事ばかりで。不思議を超えて恐ろしくなったが何故知っているのか尋ねると、そんな気がしたと自信満々に返って来た。が、もうこの人は何でもありだという結論に達した頃、クレアの言葉に乗る形でラックが最後の一手を打った。


「そんな慎ましやかなさんがいくら好きな人の頼みとは言え、そんな場所に行く訳ないでしょう?」


否定すればを否定する事になる。投了せざる得ないクレアは、残念と天井を仰いだ。そこをすかさずラックが次の手を打つ。


さんが喜びそうな場所に連れて行ったら良いじゃないですか・・・」


呆れ交じりの言葉にクレアは大いに同意し、に行きたい場所を尋ねて来た。考える振りをしながらはラックに視線を送る。視界の中で苦笑いを浮かべる細身の男は、非常にクレアの扱いに長けていた。おそらくは付き合いが長く、彼の言動に散々振り回されたのだろう。


今度、彼にクレアの扱いのコツでも聞きに行こう。そうが決心した事を今の段階で知る者はいなかった。