空気の読めない闖入者という者は何時如何なる場所にも存在する。ラッド・ルッソにとって全身真っ赤の男がそうだった。突然ふらりと、それこそ湧いたように現れた男はラッドとシャーネ、生き残った方を殺すと大胆にも宣言した。腕を組み、男はこちらの動向を窺っている。どうやらどちらか片方生き残るか決まるまでは手出しはしないようだ。しかし、だからと言って、即座にラッドはシャーネに襲い掛からなかった。この列車に乗って1度も鳴らなかったラッドの警鐘が、このふらりと現れた真っ赤な男に対して鳴り響くのだ。無視しろと言う方が無理と言う程、その音は煩い。それはシャーネも同じようで、彼女もラッドの動きに警戒しながらも視線は赤い男に向けられていた。奇妙な3人組の均衡はこのまま互いに警戒し続ける事で続くかと思われた。




「はいはい、退いて退いて!!」


次の闖入者は騒がしい登場で現れた。赤い男の登場が突然湧いたような静かな物ならば、その人物の登場は騒がしい事この上ない。列車の屋根の端から全力で走って来たような勢いで、その騒がしさにラッドの抑えていた衝動が一気に爆発した。手にしたナイフが空を斬り、闖入者の胸を一閃する。血飛沫が舞い、ラッドの白い服は真っ赤に染まる筈だったが、実際はどうだろう。ナイフは始めからそこにあったかのように、闖入者の指に収まっていた。危ないなと呟く声がしたが、ラッドの頭がそれを理解をしたかどうか怪しい所だった。


「あー。悪いけど、ここ、通してくれない?急いでいるんだよね」


そう言って闖入者である少女は言った。ラッドのナイフをまるで玩具のように投げては宙で掴み、また投げては宙で掴みを繰り返している。素直に退かなければおそらくは実力行使で通って行くだろう。ナイフの扱いに慣れているその姿から安易に想像がついた。


「嫌だと言ったらどうする?」


悪役よろしくと言った感じでラッドが嘲笑う。よく見れば笑っているのは口元だけで、目元は大いに引き攣っているのは誰の目から見ても明らかだった。


「悪いけど無理にでも通して貰うかな」


ヒラヒラと少女が手を振って見せる。ラッドを舐めて掛かっているのは明白な仕草に、ラッドの眉間の皺が数本増えた。赤い男もそうだが、この男は自分以上に化物の目をしていたからまだ良い。目の前の少女と来たらナイフを投げた時も、今こうして睨んでいても、にこやかに微笑むだけだ。自分は決して死なないと言う絶対的な自信を持った目。こう言う奴が1番嫌いだと僅かに弾の篭ったショットガンの引き金を引けば、ラッドの想像通りに弾丸は今度こそ少女の胸を貫く筈だった。




「だーかーらー危ないって」


想像は想像のままで終わった。何の冗談だとラッドは目を開く。驚きの余り、引ん剥いたと言った方が正しいのかもしれない。何の魔法を使ったのか。少女はその場から一歩も動かなかったにも関わらず、胸に穴を開けずに立っていた。問題の弾丸は少女の手の内に収まっており、指でピンと弾くと空中でくるくると回って見せた。ナイフ同様、弾丸もまた少女の玩具と化していた。


「へぇ」


赤い男が感嘆の息を漏らす。今の動きがもしかしたら見えていたのかもしれない。この化物の目を持つ男ならば。それならこの少女は。ナイフはまだ良い。撃った弾丸をいつの間にか手のひらに掴んでいた『魔法』を使ったとしか思えない少女もまた――化物。2匹も列車内にいて堪るかとラッドは憤る。


「なぁ」


今まで傍観していた赤い男(クレア・スタンフィールドと言う名前があるが、今のラッドやシャーネがそれを知る由も無い)が口を挟んだ。介入されたラッドは一瞬だけ盛大に目元を歪ませたが、無意識に感じていた威圧感から開放されて人知れず安堵の息を吐いた。


「何です?」
「何をそんなに急いでいるんだ?」


赤い男、クレアの問い掛けに少女はにっこりと笑って見せた。それは少女の喜びを全て凝縮した笑顔だった。花が綻ぶと呼ぶには生温い。花壇に植えた色とりどりの花々が一斉に開花した。そう表現すべき満面の笑顔だった。まるで長年の夢が叶った老人のように、まるで待望の赤子が授かった女のように、まるで念願の制服に袖を通した青年のように。待ち焦がれて止まなかったという切なさが交じり合いながらも、やっと叶った願いに酔いしれる蕩けるような甘い顔。笑みに壮絶な色気を漂わせて、少女は呟く。


「やっと、やっと、叶ったのです。やっとファーストキスまで来ました」


ふふふと微笑む少女はクレアの目には愛らしく映っていたのだが、ラッドの目には一層恐ろしく映った。何だ、この女。電波でも受信したのか。そんな目で見られている事など知らない少女は、そのまま言葉を続ける。


「このまま私がお婆さんになったらどうしようかと思いました。しかし、やっと10年目で兄さん達はやっとファーストキスまで辿り着きました。やっぱり危機的状況下というのが良いのかもしれませんね。命を落とされては元も子もありませんが、危機的状況に陥る程度ならアリという事なのでしょう。私は親愛なる兄と未来の義姉が次のステップになるべく早く進めるよう、陰ながらお手伝いしなければいけないのです。・・・・・・そんな訳で退いて貰えませんか?」


今まで自論の下に数多くの人間を屠って来たラッド・ルッソだったが、流石に今の言葉は色々と効いたらしく、大袈裟な程肩を落として脱力して見せた。シャーネには今の言葉が理解不能だったようで、困惑をそのまま目に映していた。唯一、クレアだけがまともな反応を見せていたが、告げた言葉が「それは素敵な話だな」の時点で思考回路はまともから程遠い事が窺えた。なんだ、そりゃ。ラッドの心の叫びなどお構い無しに、賛同してくれたクレアに対して少女は嬉しそうに「わかってくれましたか」と微笑む。


「しかし、キスまでに10年とは酷く気の長いカップルだな」
「ええ、幼馴染と言うのがネックだったみたいでして」
「あー、気心知れていると、こう新しく関係進展って難しそうだな」
「それもありますが、兄も彼女も現状でも幸せそうでして」
「周囲の人間がもどかしく感じそうだな」
「わかります?もう本当、何やってるの!と叫びたくなった事が1度じゃ2度じゃ済まない感じで」


月明かりがあるものの、闇色に染まった黒い空間。ガタンゴトンと現在も走行中の列車の屋根の上。ほんの数分前まで強烈な殺意がぶつかり合っていた空間は――今では何とも表現しがたい空間へと変貌していた。恋や愛に似合う色がピンクや赤と言うならば、色で表現するならば黒にピンクと赤のラインが幾つも走ったマーブル模様だ。殺意は微塵も感じられない。あるのは困惑と脱力と、そして恋とか愛とかそんなの、だ。


「何なら俺も手伝おうか?」
「え?良いんですか?」
「要は命に関わると不味いけれど、それなりの危機的状況を生み出せば良いんだろう?」
「ええ、兄さんの株が上がるならば重傷くらいは大目に見ます。重体はいただけませんが」
「それなら・・・」


列車が刻む定期的な音が彼らの会話に混じる。化物が揃いも揃って何をやっているのか。あんな思考回路しか持てないならば、自分は一生化物にならないだろう。否、化物にならなくて良いとラッドは思った。


そうして、しばらくしてから化物同士、固い握手を交わした。


「ここは俺に任せて先に行っていてくれ」
「それでは先に準備しています」
「ああ、待っていてくれ」
「はい」


互いに笑い合い、少女はラッドの横を通り過ぎようとしていたが、最早ラッドに止める意思はなかった。残ったクレアが目を光らせているからではない。何だか殺意とか衝動とか勢いとかラッドを形作る物の大半を、この短い間に根こそぎ持っていかれたのだ。通り過ぎる少女をラッドは何の感慨も無く見送る。その背が見えなくなった頃、今まで傍観者に回っていたクレアが腕組みを解くと、シャーネとラッドの顔を順に眺めてこう言った。


「どっちでも良いから殺り合って片方生き残ってくれないか?俺も早く生き残った方を殺して後を追いたいのだが・・・」



早く帰りたい。心底そう思ったラッドが現れたルーアと共に闇に消えて行ったのはそれからすぐの事だった。





可哀想なのは誰?







ヒロインはジャグジーの妹。