始まりは1本の電話からだった。
老朽化したエレベーターに乗り込み、最上階である15階のボタンを押す。本来ならばオレンジ色に光る筈の15と記された階層ボタンは何の変化も見られなかったが、きちんと作動しているようで渋い音を立ててエレベーターの扉は閉まった。決して心地良いとは言えない振動に揺られながら、この鬼塚団地の七階に住むは今回の呼び出しについて考えていた。
を呼び出したのは同じ年の前川宗春だった。基本的に、この鬼塚団地に住む人間は仲が良い。同属意識が非常に強く、子供達が幾つチームを作ろうともチーム同士で争ったりいがみ合ったりはしない。同じ団地に住む人間同士で争うな。そう親から赤ん坊の頃から聞かされているせいだ。
宗春もも同じ鬼塚団地、しかも同じ棟の同じ階に住んでいる為、幼い頃から非常に仲が良かった。中学校に入学してからはクラスも異なる上、外見が非常に整っている宗春と一緒に居ると思春期真っ盛りの女子から余計なトラブルが舞い込む為、校内では若干の距離を置いており、宗春も男同士でバカ騒ぎをしている事も多く、こうして2人で会うのは久しぶりだった。
時代遅れなトースターのような音が鳴り、エレベーターの扉が開いた。ムラのある蛍光灯が照らす廊下を歩き、非常階段と書かれた鉄扉の前で足を止めた。丸い輪のような独特のノブを引っ張る。金属独特の音を立て、現れた階段を登った先に小さな小窓付きの扉があった。小窓から夕焼けの赤が見える。扉を押せば、予想通り空は燃え上がるように真っ赤に染まっていて、その空を背負うように幼馴染はそこに立っていた。
「よー、」
数年前までシガーレットチョコを咥えていた子供は、いつの間にか本物を咥えるようになっていた。昔はの方が背が高かったが、そんな過去など微塵も感じさせない程、背も伸びた。
「来たよ」
傍にやって来るを見て、宗春は最後の紫煙を吐き出すとタバコを足元の缶の中に落とした。手で周りの空気をかき混ぜ、タバコの匂いを薄める。
「悪いな、急に呼び出して」
「構わないよ。それよりもどうしたの?」
「ああ、にちょっと言っておこうと思ってな。俺の決意表明って奴?」
「どこに入るか決めたの?」
この街はお世辞にも治安が良いとは言えない。大きな凶悪犯罪こそ無いが、工場が無数に立ち並んでおり、日雇いの労働者や外から流れて来る人間も珍しくない。加えて気が短い人間が多く、祭りも毎年負傷者が出る程、荒々しく、不良と呼ばれる少年達も多く存在していた。鬼塚団地も例に漏れず、この辺り一帯とした不良チームが幾つか存在していたが、互いに協定や同盟を結んで他地域のチームを相手に活動していた。前川宗春はその外見のせいで他地域の同世代から反感を買っており、中学に入る前からその名前は有名だった。彼を傘下に入れようと同地域のチーム全てから誘いもあったが、今まで彼はその答えを保留にしていた。1度チームに入れば余程の事が無い限り、17、18歳までずっとそのチームだ。
「色々考えてみたんだけどさ。コレだ!って答えがずっと無かったんだ。前にに相談した時、言っただろ。『答えが無いなら作れって』だから作る事にしたよ。俺の。俺達だけのチームをさ」
「だ、大丈夫なの?」
確かには言った。答えが無いなら作れ、と。ただし、は入りたいチームが無いなら作れとは言っていない。そもそもその話をした時、は宗春から恋愛相談を受けていた。どうやったら相手を泣かさずに断れるかという難題で、しかもその時、は風邪で喉を痛めていた。
「女の子を泣かせないという方法がないから、答えが無い。だから答えがないなら、自分で納得出来る理由を作れ」
そう突き放すように告げた筈だが、咳が止まらなくなり、折角の台詞は息も絶え絶えに紡がれたのだ。咳が収まり、再度同じ台詞を口にしようとしたものの、今までコンクリートにだらしなく座っていた宗春が、天啓を得たような顔で立ち上がった。
「そうか、答えが無いなら作れば良いんだな!流石だ、。ありがとう!」
きらきらと眩い笑顔に押し切られ、これで良いかともその時はこれ以上何も言わなかったのだが、今更になって非常に後悔していた。今まで宗春を勧誘していたチームはおおよそ1年、彼の答えを待った。その答えが新しくチームを結成するである。親の刷り込みに逆らってでも宗春を襲撃する。そんな人間が現れてもおかしくない状況だった。
「ま、何とかなるさ!」
心配するを他所に宗春は明るく答えた。その言葉では確信めいた予感を感じた。
宗春がそう言う時は大抵成功する。ただし、優秀な補佐が居れば。
前川宗春は自由奔放という言葉を体言したかのような男だ。それ故に彼に憧れを抱く人間も多い。そんな宗春にチームの頭は務まっても、チームを統率する事は難しいだろう。両手の指で足りる人数で、なおかつ前川宗春という人間をよく知る人間、幼馴染達なら大丈夫だが、人が集まれば集まる程、統率は取れなくなるだろう。統率の取れないチームの行方などわかり切っていた。
今まではがそんな宗春をサポートして来たが、流石に喧嘩上等なチームに入る勇気は無い。喧嘩はおろか逆上がりすら怪しい人間なのだ。
(さっさと統率に長けた副頭を探さないと)
自分の一言が拗れた結果がこれである。誤解した宗春も悪いが、その時にきちんと言わなかったにも一定の責任はあった。その責任を果たすべく、は宗春にも内緒で影で動き出す。それがにも予測が付かなかった形になるのだが、今のにわかる筈も無かった。