武装戦線頭・副頭見学ツアーを終えて安生に帰った宗春達を待っていたのは、呆れ返った顔をした国吉だった。武装の頭が単身乗り込んだのだから、似た所のある宗春も同じ事をする可能性がある。そう国吉は踏んでいたようだ。最も国吉も宗春がを連れて行くとは思っていなかったようで、それに関しては少々お小言を貰っていたが。
「それでどうだった?」
言うまでも無く、武装の頭・副頭の事である。
「あいつ、相当つえーな!やり合うのが楽しみだぜ!」
にこっと曇り1つ無い笑顔で宗春は言う。
「黄泉の梟の話でもわかっていたが、想像以上に厄介な奴だった」
眉を寄せてが言う。何とも対照的な2人だった。
「がそう言うって事は相当か?」
「うん。これ以上、迂闊に接触すると勘付かれる」
「迂闊って・・・珍しく何かやらかしたのか?」
「やらかしたって言うか・・・」
は先日の将五を案内した事と拓海と会った時の向こうの反応を話した。静かにそれらを聞いていた国吉は、紫煙を吐き出すとタバコを灰皿に押し付ける。
「しかし、1度会った人間の顔を覚えて他の人間に完全に伝えるのは難しい。そんな事をするくらいなら携帯のカメラで撮った方が早いが、撮られた可能性は?」
「それは無いよ。普段からそう言うのは凄い気をつけているから、まず有り得ない」
「と、なると、に良く似た奴が向こうの知り合いにいる可能性が高いな」
こればかりは運が悪いとしか国吉も思わなかったようで、の迂闊な行動に関してはまったく言及されなかった。肩を落としたを励ますように宗春が肩を叩く。この日ばかりは宗春の楽天的な物言いには救われていた。
「これ以上、表で武装絡みで下手に動けば尻尾を捕まれるよ。当面は今まで通り裏で安生を見ておくよ」
「それが良い。武装もそうだが、まだ双頭龍の件も終わってないんだ。お前の力はまだまだ俺達には必要だ。頼むぜ」
「わかってるって。・・・ああ、そうだ。双頭龍の連中が地下で動き始めたよ。準備が出来次第、美川が戻って来るらしい」
国吉に持ち上げられた事もあってか、落ち込み状態から抜け出したは、続々と送り続けられる情報を惜しむ事無く宗春達に話した。チームを結成して以来、他の誰かが踏んでもがドジを踏む事はなかったので、落ち込んだが気を取り直したのを見て、密かに国吉は安堵していた。の状態次第では勝てる喧嘩も勝てなくなる可能性があるからだ。女1人の力と侮る事が出来ない程、それは大きく、今まで幾度と無く毒蛾のメンバーの窮地を救って来た。
「準備が出来次第戻るって言うのがな。男として情けなさ過ぎる」
「双頭龍も美川さえいればチームは何度でも復活出来るって思っているからね。毒蛾が龍狩りを止めたのも、美川が怖いからって噂があるくらいだよ」
「・・・気にいらねぇな」
「どうせ、その噂もが流したんだろう?」
「当たり。いやー、双頭龍の連中に毒蛾が舐められたのはむかついたけれど、思い通りに動いてくれたから余裕で我慢できたよ。予定通り、美川も戻るから、ね」
「ああ、鼠が巣に帰ったら後は任せておけ。帰ったら・・・巣ごと潰す」
「武装とやり合う前座にはちょうど良いな」
「前座で怪我しないように気をつけてね」
「おう」
「あと、以前、安生に居た武装の下っ端。また戻って来たみたいだよ。どうやら今度の潜伏期間は長そうだけど、どうする?」
「しばらくは泳がせておけ。そのうち、幹部クラスが乗り込んで来る。来たら教えろ」
「了解。やれやれ、当分、忙しいね」
「ああ、飽きなくて良いだろ?」
「まぁね」
そんな会話を笑いながら話したのはいつだったかと、携帯片手にはうっすらと頭の片隅で思った。予想通り、は忙しくなった。双頭龍と武装。それだけでも大変なのに、春の安生は人の出入りが多く、その分、トラブルも増える。昼の街をパトカーがサイレンをけたたましく鳴らして、の横を通り過ぎた。この時期、1番、この音を耳にする。サイレンの音がやけに癇に障って、疲れている自分を自覚しながら家路を目指していたのだが、2人組の男がの行く先を遮った。その横を通り過ぎようとすると、手で防がれる。どうやらただ街をたむろしているのではなく、に用があるらしい。
「よー、お嬢ちゃん」
「ちょっと俺らと遊ばねぇ?」
タバコで黄色に染まった歯と、前歯の数本抜けた歯が見える。不快だと思うと同時に少しだけ哀れだともは思った。
おそらくこの2人組は最近安生にやって来たのだろう。工場が立ち並ぶ安生は3月に人の出が多く、4月に人の入りが多い。その流れに乗ってこの2人も来たのだろう。安生の暗黙の了解も知らずに。知っていれば決してに声を掛ける事は無かった。
冷ややかな目では男2人を見る。に何かあれば、問題の大小に関わらず宗春を筆頭とした幼馴染達が黙っていない。幼馴染が自分を大事に思ってくれているからこそ、普段ならばも幼馴染達が自分絡みの件で動いても、大して気にもしないのだが、如何せん時期が悪かった。双頭龍と武装との抗争を控えているので、今、幼馴染の血が騒いでいて、やり過ぎる可能性が非常に高かった。そうなると最終的にしわ寄せが来るのはなのだが、今の時期、学校行事も多く、生徒会副会長としての仕事も多かった。学校生活に双頭龍、それに武装。ここに幼馴染の後始末が加わった場合、流石のもオーバーワークだ。この時期、試験が無くて良かったと現実逃避の後、同じ学校に通う幼馴染の伏見昇と一緒に帰れば良かったと心底後悔していると、の左手首を歯の欠けた男に捕まれた。強引に近くに引き寄せられる。咄嗟に隠し持った護身グッツを手に掛けるが、それを取り出す前に状況は変わった。
「よー、兄ちゃん達。うちの妹になんか用か?」
突然、と男2人組の間に刺青の入った男の腕が割って入った。てっきり幼馴染の誰かかと思っていたはその腕と声に大いに驚いた。
突然現れた男はを背にしているので、その顔は窺えない。しかし、も伊達に宗春達を介して男達の世界を垣間見てないというべきか。男の全身から宗春・・・いや、それ以上の威圧感をはっきりと感じ取り、助かったと思う前には焦った。安生の目と耳を支配していると言っても良いが、これ程の男がこの街にいる事をまったく知らなかったのである。情報に穴があったのかとが焦っている間、男が2人組の男達に睨みを効かせて追い払った。大丈夫かと男に声を掛けられ、は我に返った。ここ最近の情報を頭の中で反芻してみたが、入手情報に目の前の男の情報は無かった。
「あ、ありがとうございました」
情報の無さに焦るあまり、声が裏返った。この程度で動揺してしまった自分をは恥じる。
「いや、何ともないなら良かった」
そう言って男は笑う。
年齢はおそらくより上だろう。だがそう年が離れていないような気がした。身長は国吉と同じくらいだ。細身のように感じるのは手足が長いからだろう。ボクサーのような体型で服越しでもバランス良く筋肉がついているのがわかる。目元に縦に走る傷跡から考えても、宗春達と同じような青春時代を送って来たのだろう。こうして接していると先程の威圧感が嘘のように纏う空気が穏やかだ。もしかしたら既に引退した人間なのかもしれないとは推測する。
「うん?どうかしたか?」
「あ、いえ・・・。知っている人に似てる気がして。・・・不躾にすいません」
「気にするな」
再び礼を言ったはこのまま男と別れて1人で帰るつもりだったが、また同じ事があったら大変だから送って行くと言った男の好意に甘える事にした。ここで再びが絡まれたら、幼馴染達からの説教が恐ろしい。そういった裏事情もあった。
「じゃあ、武田さんはお仕事でこちらに?」
「ああ。って言っても長くても2ヶ月程度だけどな」
道行く中、は武田好誠という男の名前と、安生に来た理由を挨拶に織り込ませながら引き出していた。その流れでも好誠に名乗らなければいけなかったが、安生ではもそれなりに知られた身であるし、情報漏れがあったのではないかと気が気でなかった為、特に気にもならなかった。
「それならしばらくはこちらでの生活ですか」
「ああ。良かったら色々教えてくれ」
土地勘がまったくないから、アパートから1番近いコンビニの場所しかわからないと好誠は笑った。
「そうですね。アパートってこの近くですか?」
「ああ。鬼塚2丁目にあるコーポ鬼塚っていう2階建てアパートだ」
「それなら大体わかりますよ」
好誠の仮住まいはの住むアパートから徒歩5分程度と近場だった。生活圏がほぼ同じなので、も余裕であれこれと教え込む。好誠が持ち歩いていたタウンマップは、あっと言う間に丸印と書き込みだらけになった。
「お陰で助かった」
「いえ、私の方こそ・・・」
の頬が赤くなる。男2人に絡まれた時に感じた羞恥が蘇ったせいだ。
安生の魔王。鬼塚地区出身の謎の情報屋。が影で演じたその存在と毒蛾のお陰で、日中ならば鬼塚地区は昔に比べるとかなり安全な場所だった。実際、もここで絡まれた経験は無く、それ故に油断していたのだと自分自身に対して怒りすら覚えた。この時期、他所者が増えるという事はわかっていたのだ。忙しかった、疲れてたとは言え、警戒を怠った自分をは恥ずかしく思っていたのだが、そんなが好誠の目にどう映っていたのか。
自分を見る好誠の目が酷く優しい事など気がつかないまま、は自宅まで送られたのであった。