村田将五にはは名乗った。しかし、目の前に居る藤代拓海には名乗った覚えが無い。


ははっきりとそれを覚えているし、拓海も勿論覚えているのだろう。理解してなおの名前を出したのは、こちらの出方を窺うつもりか。腹の中の黒さ具合は自分と言い勝負か。笑顔を浮かべた拓海を一瞥すると、も作り笑顔を浮かべた。頭の中ではどこまで拓海の企みに乗ってやるか考えていた。


「こんにちは。自転車のお兄さんですよね」
「うん。戸亜留市のバイクショップの店員」
「良く私の顔を覚えてましたね」
「ああ、知り合いに似た子がいてね」
「ああ、そうなんですか?」


軽い挨拶から始まった会話は、ジャブのつもりだった。おそらくがどこまで知っているのか拓海は探る腹なのだろう。魔王の部下の部下の部下とは自称した。女という性別やの華奢な外見だけ見れば、大抵の人間は納得するだろう。ただ、将五が見た目に騙されなかっただけだ。間違い無くの方が情報を握っているが、魔王としての顔を出すつもりは無い。切れ者と将五はを評した。その話は拓海にも間違いなく伝わっているし、拓海自身もかなり人を見る目が鍛えられている。今更、私は何も知りませんでは通じないだろう。そうなるとどこまでいけるかとは僅かな時間で考え、半分だけ拓海の誘いに乗る事に決めた。名前を何故知っているのかその件には触れず、戸亜留市で会った事のみを口にした。にこにこと互いに会話を重ねて行く。傍からは普通の会話にしか聞こえないだろうが、からすればこの上無く不毛な会話に思えた。


「だから幼馴染に話を聞いてすぐわかったよ。この街で将五がお世話になったみたいだね」


予想よりも早く拓海は手持ちのカードを切り出して来た。早くも第2ラウンドかとは切り替える。


「だから私の名前を知っていたのですか」
「うん。あ、俺、藤代拓海。よろしく」
です。よろしくお願いします」
「将五の事、武装のリーダーって聞いていると思うけど、俺が副を努めているんだ」
「そうですか」
「将五の時には連絡が入ったみたいだけど、俺には何も来ていない?」
「いえ、来てないです」


そこで会話が切れた。


将五から得たカードを拓海は惜しげもなくに対して使ってみせた。元々どのカードも有効打になりうる物ではない。ただカードを使った時にがどう反応するか。拓海はそれを重点的に見ていた。しかし、予想と違った反応だった。


一方、も焦っていた。半分くらい乗ってやろうかなーと思っていたのだが、拓海がバッサバサと景気が良いくらいカードを切って来るので、これは余程の情報を隠し持っているなと身構えていたのだが、あっさりと会話が終了した。内心でええええと悲鳴を上げるだったが、救いの手を差し伸べるように携帯の振動音が聞こえた。用ではなく、魔王用だった。携帯を2つ持っている事はあまり知られたくないが、チカチカと光っているのは赤色だ。敦士、鹿島、ひかり、国吉、宗春からの緊急連絡だ。見ない訳にはいかず、また拓海にもどうぞと知った顔で勧められたので、仕方なくはメールを見た。


「武装の副頭となんで一緒なんだー!気付きそうになった昇は俺が誤魔化したが、日出男も忍も心配してるから早く戻ってくれ!」


鹿島からだった。どうやらJmにいるらしい。情報担当の幼馴染達は毒蛾の幼馴染程、過保護ではない。鹿島はの顔を見て、状況を判断し、昇を誤魔化したのだろう。これが鹿島ではなく、他の毒蛾の幼馴染達に拓海と2人きりで一緒にいる所を見られたら?そんな想像をしたは考えるのを止めた。フルボッコ。たこ殴り。フクロ。リンチ。そんな不穏な単語しか出て来なかったからである。


「俺宛かな?」


少しだけ期待する眼差しで拓海はを見た。


「はい」


人通りのある場所にいるので、魔王という単語は互いに一切出さなかった。


「今の時間、この先のたまり場に毒蛾の副頭である国吉さんを始め、幹部が数人揃っているそうです。行くのであればこのままご案内しますが」
「そう。じゃ、頼もうかな」


軽い口調で拓海は了承した。その軽さに思わずは心配になった。


「店内にいる幹部の1人は短気な人間です。武装さんとわかった途端、殴り掛かってくる可能性も
あると言っています。・・・お気をつけて」
「へぇ。何だか・・・心配されるとは思わなかった」
「おそらくは村田さんの時と同じなのでしょう」
「同じ?」
「1人でやって来た客人に失礼があってはいけないと魔王は考えているのではないでしょうか」
「なるほどね」
「・・・さて行きましょうか」


が手にした荷物を持ち直す。先導するつもりだったので、先に行くつもりだったが、不意に手に感じた他人の手の熱にぎょっとした。


「荷物、持つよ」


驚いて荷物を持つの両手の力が緩んだ。その隙に拓海はの手から荷物をするりと流れるような淀みの無い動きで掠め取った。


「は?」


状況についていけないに、拓海はにっこりと微笑む。


「さぁ、行こうか」


笑顔でそう言った拓海はすたすたと先を歩き始めた。何で顔が良い男ってこうゴーイングマイウェイなんだ。宗春に振り回され慣れているは、この展開に対して、ああ前にもこんな事あったかもと、既視感を覚える自分に溜息が出そうだった。