病院の裏門傍で円城数正は1人立ち尽くしていた。
先程まで数正の前には男女の2人組が居たが、伝えるべき事を伝えた彼はさっさと立ち去ったようだ。1人残された数正は考える。聞かされた状況はかなり深刻だ。数正の手に負える物では無い。
それでも何とかしたくて知恵を振り絞るものの、1番の目的である兄貴分の小林一善を助ける手立ては思い浮かばず、数正は握り締めていた拳をゆっくりを広げた。携帯の電話帳を開けば、武装のメンバーの名前がずらりと並んでいる。勝手やらかしてこの様だ。自分の尻すら拭えぬ自身を数正は苦々しく思う。おそらく盛大に叱責されるだろう。鉄拳も加わるかもしれない。しかし、今は一善の事が最優先事項である。数正は迷わず、藤代拓海に電話を掛けた。
その時間、仕事を終えた拓海はブライアンに居た。既に毒蛾との決戦の日は決まっている。数正や一善のように勝手やらかした奴は参戦不可と全員に通達済みなので、後は来るべき日に備えるだけだった。そんな訳で久しぶりにのんびり珈琲でも飲もうかとふらりと仕事帰りにブライアンに寄った拓海だったが、奥の個室には既に先客がいた。
「よぉ」
「来てたのか」
10人は優に座れるテーブルに将五は1人座っていた。拓海の姿を見ると、軽く手を挙げる。テーブルには珈琲が置かれており、自分と同じかと拓海は微笑んだ。
「誰も居ないかと思ったよ」
「当日まで大人しくしてようかと思ったんだけどな」
家に居ても暇だから出て来た。そう言う将五のテーブルを挟んで向かい側の席に拓海は座る。付き合いが長いせいで、会話らしい会話をしなくても特に気にする事も無い。珈琲を飲みながら将五は考え事に耽っていた。真っ直ぐな将五の頭には毒蛾の事しか今は頭の中に無いだろう。今更、毒蛾に関して拓海があれこれと将五に言う事はほぼ無い。強いて言うならば、安生の魔王について相変わらず気になるが、全面戦争、しかも影でコソコソやる類の物ではなく、2チームの総力を一箇所に集結してぶつかり合う事が決まった以上、裏方で動く魔王が出て来る事は無いだろう。結局、魔王は拓海の、武装の前に現れなかった。糸口と成りうる人物――の存在もあったが、警告が入った為に調査は断念した。
魔王の情報の早さは驚異的と言って良い。しかし、今まで、新市に関してはずっと見逃されて来た。幹部が動き始めれば即座に呼応するように動き始めるところを見ると、どうやら毒蛾側からそういう注文を入れたようだ。おそらくは武装と五分の勝負をする為に。
舐められてる、と。拓海も正直思う。だが、不思議と腹立たしさを感じないのは、それだけその力が卓越し過ぎているからだろう。その気になれば1人で安生入りした新市も、将五も、拓海も叩き潰す事は出来た。だがそれは前川宗春、もしくは国吉洋次の思うところでは無いのだろう。だからこそ魔王にそんな注文を付けたのかもしれない。程良く手を抜けというのも難しい話だ。不意に拓海の脳裏に先日会った女の顔が浮かんだ。。単身、Jmに乗り込んだ拓海を咄嗟に庇ったお人好しの女。あの細腕で男のパンチを受け止めたのだ。少なくても痛みや腫れで数日はまともに力を入れる事も出来ないだろう。
思い出した拓海の眉が僅かに寄る。フクロにされる覚悟はあったが、女が傷を負う覚悟は流石にしていなかった。例え本人から好きでやった事だからと言われてもだ。口から出てきそうな溜息を珈琲で誤魔化して、頭を切り替える。多少無鉄砲?なところがあるだが、かなり頭の切れるタイプであるのは間違いない。前川宗春達と親しい事を考えると、が毒蛾と魔王のパイプ役か。いや、今回の武装との戦いに関して、偶然という部分に助けられて発覚した部分もあるが、毒蛾側の情報担当役で表で動いていると拓海が確認出来たのは1人だ。確かに男の世界で女が動く姿はかなり目立つ。しかし、囮にするにはあまりに非力で危険だ。囮役でもないのに動いているならば、は深い部分まで関わっているのでないか?あれだけ頭が切れるならば、難しい注文にも対処出来たのではないか?そんな推測が拓海の頭の中で出来上がっていた。
しかし、その推測を確認する機会はもう無いだろう。拓海自身、魔王やについて考えていたのは、情報を整理する一環の作業に過ぎない。それは引越し前の要るか要らないかの分別作業のようなもので、要るにしろ要らないしろ分類して纏めておく必要があった。
珈琲片手に思考の海を彷徨っていると、不意にポケットを揺らす振動を感じた。意識を戻し、ポケットを漁る。そこには数日前に勝手やらかして安生に向かった2人のうちの1人、円城数正の名前が表示されていた。数正も勝手やらかした自覚はあるだろう。それなのにも関わらず電話して来たという事は――。嫌な予感を覚えて拓海は電話を取った。
数正には兄貴分の小林一善がついている。下の責任は兄貴分の責任とまでは行かないが、一善には数正を止める義務がある。それを放棄して一緒に安生に乗り込んだのだ。当然、責任の重さで言うならば一善の方が遥かに重く、仮に何か安生で起こったとしても電話するなら数正ではなく、一善の方なのだ。
「もしもし」
電話を取った拓海はすぐに自分が正しかった事を知る。
「副頭、すいません」
感情を押し殺した男のダミ声が電話口から聞こえて来る。
「一善の兄貴が警察にパクられました!」
予想の更に上を行く事態に拓海は息を飲んだ。
数正との電話を切ると、拓海は溜息を吐いた。ポーカーフェイスを得意とするその顔がわかりやすく顰められていて、将五は間髪入れずに何があったのか尋ねて来た。
「一善が警察に捕まった」
「何?!」
拓海の言葉に即座に武装の頭の顔に変わる将五。伝える拓海の顔も副頭の顔に変わっていた。
「こっちで毒蛾の刺客にやられた2人は、安生にリベンジに向かって、そこで再戦を果たしたらしい。ただ途中、一善の喧嘩の相手が吹っ飛ばされた時、倉庫にあったパイプか何かが腹部を貫通したらしく、急いで救急車を呼んだそうだ。相手の手術も終わり、命に関わるような怪我じゃないらしいが、そこに警察がやって来て、一善を連行して行ったそうだ」
「一善が連行されたのは、傷害罪か何かか?」
「おそらくはそうなんだろうが、その刑事がちょっと問題らしい」
「問題?」
「病院には数正の他に、毒蛾の幹部クラスの奴らが何人か来たらしい。その中に女が1人混じっていたそうだが、そいつが言うには、その刑事は他所で失敗し、左遷された奴らしく、点数稼ぎするのに手段選ばねぇらしい」
刑事のくだりで将五が舌打ちする。こういう事をやっていると警察に否が応でも目を付けらる。将五が胸糞の悪い思いをしたのは1度や2度だけではない。自分の欲の為に仲間を拘束している腐った奴がいると思うと、将五の全身が言い知れぬ怒りに包まれる。目の前に居れば後先考えずに殴りそうな程、その怒りは烈火の如く、だ。
「将五」
「わかってる」
熱くなると前しか見えなくなる頭。それを補佐するのが副頭の、自分の仕事だと拓海は思っている。熱くなった将五に冷水を掛けるような声音で名前を呼ぶと、少しだけ不貞腐れた顔で拓海を見た。
「女っつーと、あいつか?」
「多分ね」
将五と拓海の脳裏にの顔が思い浮かぶ。
「警察に連行されて逮捕されたとしても、喧嘩の相手が被害届出さなきゃ、そのうち出て来れる。ただ、数正から一善に前歴がある事を聞いたらしく、それなら被害届が無くても、やり様によっては刑務所に送れると言ったそうだ」
「あの女は脅しを言うタイプには見えねぇ。おそらく本当だろう。不味い事になったな」
「ああ。・・・ただ、一善の件では安生の方でも動いてくれるらしい」
「あ?なんで?」
これが戸亜留市内での出来事なら、将五達も打てる手は全て打つだろう。しかし、一善が拘束されているのは、安生市、将五達が打てる手など無いに等しい。しかし、安生市を本拠地とする毒蛾ならば別だ。少なくても見ているしか出来ない将五達に比べれば、遥かにマシな手を打てるに違いない。しかし、毒蛾と武装は今も敵対関係にある。敵である武装のメンバーを救う等、冗談にしか聞こえなかった。何の冗談だと将五は頭を乱雑に掻く。後ろに流してワックスで固めた髪が乱れた。
「理由はわからないよ。・・・だだ、あそこには何だかんだ言ってお人好しな子がいるからね」
拓海はそう言って左手をじっと見た。ほんの数日前、自分を庇って左手に怪我を負う羽目になった女の顔を思い出す。動機はさておき、将五も拓海も1度はに助けられている。もし、一善を助ける為に動くとしたら、それは彼女では無いか。魔王との繋がりの深い彼女なら、もしかしたら一善を・・・。
そこまで考えて拓海はその考えを捨てた。希望的観測が過ぎる考えだと言うのはわかっている。しかし、それでも拓海がその考えを捨てれないのは、Jmに行く時にも同じ事を考え、それが現実の物と成ったからだ。今から拓海は安生入りするつもりだった。もし、その時にが動いているのを確認出来たら、自分は期待しても良いのかもしれない。
そんな事を考えながら革ジャンを着ると、同じように出る支度をする将五の姿が目に入った。
「将五」
「俺も行くからな」
決定事項と言わんばかりの語調の強さ。ぶつかり合う眼差しに拓海は息を吐く。
「一度、着替えて行くからな。流石に決戦日が決まったのに、安生に出入りするのは不味い」
「わかってるよ。先にどこに行く?」
「新市の所に顔を出して、数正に会う。その後は警察だな。面会時間が決まっているから、早い時間に動くよ」
「了解」
そうして将五と拓海は一度別れ、武装のロゴの無いシャツとジーンズに着替えると、再び合流して安生市に向かった。舞台は再び安生市に移る。