「やぁ、ぬらりひょん。久しぶりだね」


奴良組本家の最奥、頭領の部屋。嘗ての主が早逝したため、現在は隠居した初代の座する部屋にどこからともなく声が聞こえた。本来ならば部屋の主の許可無くして勝手に入る事すら許されない場所である。しかし、部屋の主、ぬらりひょんは飄々とした顔でキセルを吸うと、ふぅーっと大きく息を吐き出した。


「止めてくれないかな。煙草臭くなる」
「勝手に侵入する方が悪い」


吐き出された煙は部屋の隅に無造作に置かれた金屏風へと向けられた。煙が金屏風を包む。そう思われたのだが、ふわりと風が舞うように淡い羽衣が煙を巻き取った。陽炎のようにふらりと現れたのは幾重にも着重ねた着物姿の佳人。足元に届く程の長い銀色の髪と紫色の瞳は彼女が妖である証拠だった。


「おー、久しぶりだな。200年振りくらいか?」
「大体それくらいね」
「お前さんと会うのも久しぶりだな。して、今回は何と呼べば良いんだ?」
と呼んでくれ」


女の言葉にぬらりひょんは何の疑問を持たずに、かとその名前を呟いた。


「しかし、この世の中で『殺生狐』が生まれるとは思わなかったぞ。随分と変わったお嬢ちゃんじゃねぇか?」


その問いには「まぁね」と曖昧に答えれば、特に興味は無いのかぬらりひょんもキセルを吸ってゆるゆると煙を吐き出した。


「京妖怪が騒がしすぎてね。『今回の私』がこちら側を選んだのもそのせいさ」
「わしが羽衣狐と戦ったあの頃にはお前さんはおらんからなぁ」
「ああ。あの頃には商家の家でそれなりに幸せに暮らしていたからね。私と羽衣が同時期に存在するのは千年振り。あの時同様、鵺が再び生まれようとしているのは、星の巡りかね?」
「知るか。陰陽師の奴に聞け」


ぬらりひょんの言葉には「そうするか」と呟くと、ゆるゆると微笑んでみせた。


「なんでぃ。今回の『男』はよりによって陰陽師の奴なのかぃ?」
「ご名答」
「少しは照れるなり恥らったり見せろや」
「無理を言うな。私が何年生きてると思う?」
「そういや聞いた事が無かったな。お前、『妖怪』として何年生きてるんだ?」
「さあ?千を超えた時点で数えるのも止めたからね。二千を超えているかもしれないし、超えていないかもしれないし。まぁ、どちらでも良いが」
「とんだババァじゃねぇか」
「外見ジジィのお前に言われてもな」


呆れ顔でが呟く。その呟きと共にの着物の裾が揺れる。裾から見えたのは白い襦袢と銀色の尾。着物の中にいくつ隠しているのかぬらりひょんにすらわからないが、この昔ながらの『友』と呼んで差し支えの無い妖が千を超える時を生きるに相応しい妖力を持っているのは間違いなかった。若き日の自分がもし対峙しても決して相手にはならないと思う程に。


「さて、先程覗いて来たが、お前の孫はなかなか面白いな」
「なんじゃ、リクオを見てきたのか?」
「ああ。昔のお前を見ているようだったよ」


昔と言うのだから、が見たのは間違いなく夜のリクオだろう。


「京妖怪の動きもそろそろ本格化しそうだ。私は京に移動するが、お前の孫もそのうち京へ来るだろう。お前も羽衣に挨拶の1つや2つあるだろう?昔の誼だ。会った時には手を貸すよ」
「畏れも知らぬ今のリクオに京に行かせる訳がなかろう」
「いや、来るさ」
「その根拠は?」
「お前の孫だからさ」


その言葉にぬらりひょんは一瞬言葉を失うも、次の瞬間、カラカラと笑い出した。


「ああ、わしの孫だからな」
「そういう事だ。もうじきお前の孫も畏れを知るだろう。楽しみにしているぞ、お前の孫の百鬼夜行を」
「ああ。お前とて纏ってみせるさ」
「纏う?ああ、鯉伴の力か?」
「わしの孫であり、あの息子の倅だ。出来ぬ筈がなかろう」


自信満々に言うぬらりひょんには「親馬鹿」と小さく呟いた。


「まぁ、わしもお前さんの今回の恋路を楽しみにしているぞ!」
「今回は前回以上に前途多難だ。傍から見ている分には面白いかもしれないな」
「陰陽師と言うだけでなんとなーくわかってはいたんだが、そんなに難しいのか?」
「顔見た瞬間、術符を投げてくる程度には嫌われているな」
「・・・・・・なんでそんな奴に惚れたんじゃ?」
「好きだからに決まってるだろう。まぁ、あいつは『』は好きだが、『妖』は滅したい程大嫌いだからな。『人間をやめて妖になった』の事を果たしてあいつがどこまで許容するのか見物だ」


クスクスと楽しそうにが忍び笑いを漏らす。前途多難な相手に対し、今後、様々な策略が張り巡らされ、実行されるのであろう。今までがそうであったうように、今回もまた殺生狐の思い人は陥落するのだろう。今回は相手が相手なのでそれなりに時間が掛かりそうだが。


別れの言葉と共にふっと消えた嘗ての友が居た空間を一瞥後、ぬらりひょんは即座にカラス天狗の名を呼んだ。


「組の奴らを大広間に呼んでくれ。久々に賭け事でもしよう。対象は殺生狐のが相手を落とすのにあとどれくらい掛かるかだ」


その言葉にカラス天狗は頷くと、夕暮れの空に向かって飛び出した。




賭けにならない賭け事










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解説という名の言い訳

殺生狐は羽衣狐よりも妖としての歴史は格段に長い。生まれたばかりの女児に取り憑き、その女児が死ぬまで運命を共にする。憑依した対象が死ぬと別の女児に取り憑く。羽衣狐と違って平穏な世でも生まれ、妖として覚醒する事無く人間としての生を全うする場合もあるので、かなり風変わりな妖怪だと言われているが、その歴史は今代で数十代数百代とも言われているだけあって、かなりの実力者だと認識されている。基本的に一匹狼で、百鬼夜行には興味が無い。

女児が18歳になるまでに『妖』として生きるか、『人間』として生きるか選択させる。大抵、世界が混沌としている時には力のある『妖』を選び、平和な時代には『人間』を選ぶと過去の報告例から推測されているが、実は恋した相手が『妖』なら『妖』に、『人間』なら『人間』を選んでるに過ぎない。

今回は恋した相手が『人間』にも関わらず、『妖』の道を選んだ極めて異例の状況であり、また相手が『妖』の天敵、『陰陽師』である事から、今代の殺生狐の恋の成就はかなり時間が掛かると予想。賭け事の対象になった。

なお、殺生狐とはあくまで妖怪名であり、名前は取り憑いた先の女児の名前を使っているので、『殺生狐の○○』と代によって名前が異なる・・・という設定を作った所で力尽きました。陰陽師で問答無用で攻撃してくる男となると彼が真っ先に思い浮かぶと思いますが、正解です。中学校か高校の元同級生と言う設定でした。

ちなみにタイトルは殺生狐が今好きな男を落とせるかどうかだと賭けが成立しない、という設定から取りました。狐だけあって狡猾なんです。